2012年11月26日月曜日

多党化は民・自協調の誘因を形成するか?

二大政党が並立する状況では、どう考えても選挙はゼロサムゲームであり、自党が政策論争で譲歩すれば、譲歩した分、他党の言い分が通ることになる。国益のために自党が譲歩すれば、そのために他党の言い分が通るわけだが、それは当面の党利ではなく国益を優先するという自党の判断があったが故である、そして有権者もそこをみる。<議席の数>という目に見える利得ではなく、<国益>もはかりながら政党が行動する、それだけ政党の行動が複雑になる。それを国民もみて、政党の行動や動機、目的を洞察する、政談が好きでたまらない、そんな成熟した社会状況があれば極めてハイレベルの選挙戦が展開できるだろう。議席をめぐるゼロサムゲームが、国益をめぐる非ゼロ和・非協調ゲームとなるのだ、な。そこには協調もあれば、コミットメントもあり、また裏切りもある。ダイナミックな政治ドラマが極めてハイレベルに展開される素地が形成される。

小生、民主主義社会が理想的に運営されるには、理想的な仮定が満たされる必要があると考えている。しかし、こんな社会は近似的に考えても英国くらいのものだろう、と。まして日本では、自然発生的に上のような民主主義政治を運営したことはない。すべて<輸入文化>である。経済学も政治学も経営学も、日本国では輸入学問だが、世界における日本の経済学のレベル、日本の政治学のレベル、日本の経営学のレベルは、そのまま日本の民主政治の水準に対応していると言っても、決してこの思考法は間違いではないと自信をもっているのだ。

別に日本の恥ではない。むしろ英国のような二大政党・議院内閣制は ー 小生の専門分野でないが ー 稀なケースじゃないかと思うし、今は英国も連立政権である。ドイツはいつも連立政権である。フランスは与党と野党の二大グループに政治家がしょっちゅう再結集・再編成されている。韓国もそうであるな。政党の名称もしょっちゅう変わっている。

多党化すれば議席を利得と考えても、政党どうしの結託の利益が生じる。というか、結託して共同利益を求める方が利得の期待値が高いので、必然的に結託する。

政治家は引退すると政治評論家になるしかないのだろうか?森元首相がこんなことを語っている由。
政権与党の民主党は候補者の絶対数が足りないし、厳しい選挙になるのは間違いない。だけど、社会保障・税一体改革のときにできた民自公の枠組みは一応成功したんだし、僕は選挙後の課題についても3党でやっていくことが一番理想的だと思っているんだ。民主党の中堅にはいい人材がたくさんいますよ。そのためには民主党がどういう「純化路線」をとれるかだ。野田さんの立場からいうと、小さくても仕事ができる良質な民主党をつくって自民党なり維新と組んでいくということだろうね。
 民主党の中には日教組や自治労というかつての左翼の人たちもいる。その人たちだけは認めないというのが安倍さんの考え。そういう人たちも切って純化できるのか。僕はその方がいいと思うんだけどね。(MSN産経ニュース、2012年11月26日配信)
民・自・公三党提携の見通し、というより協調へと誘導するフォーカル・ポイントの意図かもしれない。確かに多党化したいま、自民党は民主党との結託の誘因がある。民主党にもある。しかし、自民党は維新とも結託できるし、生活第一ともできる。自民党は、自民党の党利を最大にしようと結託の相手を選ぶだろう。その相手は労働組合を含んだ民主党ではないだろう、元首相はそう読んでいるわけだし、だとすればこの発言は<民主党内離間の策>で、協調に誘うソフト・コミットメントどころか、略奪をねらうタフ・コミットメントである。この種の攻撃に対して、民主党は二大政党下であれば猛然と反撃するのがロジックだが、多党化している今はその必然性はない。民主党はすでに実質的に多プレーヤー化しており、党内グループが互いに裏切ることなく、共同利益を追求し続けられるのかどうかにかかっているし、さらにまた党内が協調したからと言って、民主党全体の共同利益が最大化される論理的根拠はなくなりつつある。共同の利益の意識が党内で共有されなくなれば、意外に早く民主党は解体への道をたどるだろう。いまの国内政治状況はこんな風に言えるのではないか?

いずれにせよ、自民党は結託相手として小党が望ましい。その小党は公明党の発言力を低下させるだろう。だから民主党が左翼をきって、中規模の小党となって自民党と協調する状況が(もし実現するなら)安倍政権にとっては最良であろう。このとき、反自民勢力は小異を捨てて野党勢力として結集できるか?自民党が民主党保守勢力をつまみ食いするなら、袖にされた維新と民主党左翼が結集するのは不可能だ。日本国は自民党政治に戻り、基本的枠組みとなり、10年程度が経過する可能性がある。そうなれば「常在戦場」ならぬ「常時政局」からは日本は脱することが出来ようが、まだつぼみの霞ヶ関・改革派官僚の志向は世に出ることはなく、政治家が求める地元利益のバランス・システムへと復帰することは間違いない。

では維新を協調相手に選ぶかだが、維新はサイズが大きくなると予想されているし、ひょっとするとそうなるだろう。その場合は、維新の側にタカとハトのハトに甘んじる意志はない。協調を目指しても内紛が生じること必至である。維新と協調すればじきに政権は行き詰まるだろう。小生はこう観ているところだ。ただコアとなる政策思想としては、親和性が高いので、党内を純化して、乗り越えるかもしれない。これも、こうなるとして二、三年の時間で見ないといけないだろう。

まだまだ遠く遥けく道行く必要がありそうだ。10年先の日本の姿など神様にも、お釈迦様にも分かるめえ、とはこのことだ。

いずれにしても来月の選挙によるが、選挙は偶然的要素に結果が左右される。ま、一言でいえば、日本国の将来をクジや抽選で決めるようなものだ。小生はそう思う。実に情けないのが偽らざる気持ちだ。問題は経済政策の行方だが、これはまた別の機会に。

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