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国政選挙の一票の重みが選挙区の間で不平等であるという問題で揺れている。全国の控訴審で違憲判断があいついで下され、一部では昨年の衆議院選挙が無効であるという判決すら出てきた。
小生の個人的意見は、全国47都道府県は日本国において平等の政治的発言力を有するべきだというものだ。
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たとえば小生が居住する北海道は日本の全領土の約4分の1を占める。しかし人口は500万人程度である。一方、東京都の面積は北海道のそれの大体2.6%、38分の1である。ところが人口でみれば、東京は北海道の2.4倍である。簡単にいえば、東京都の38倍の面積を占める地域の住民は、東京都の半分未満の政治的発言力しか認めるべきではない。それが平等の理念にかなっている。裁判所の判決はこういう理念で導かれたものだ。
地元をひいきするわけではないが、ちょっとおかしいと思いますなあ。
それほど日本人として存在する人間一人一人の平等を尊重するのであれば、なぜ20歳以上の成人の間の平等だけを語り、19歳以下の未成年者が投票権をもたないことを問題にしないのだろうか?すでに義務教育を終え、国民として暮らす最低限の教育は完了しているのだ。仕事につき、納税の義務を果たしている人もいる。しかし、未成年者はすべて投票権をもたないのである。
小生はこの事のほうが大きな不平等であると考える。
たかが2倍ちょっとの重みの格差など何ですか。成年と未成年の格差は無限大である。
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別に、国家に対する貢献を基準にして政治的発言力の分配を決めよというつもりはない。しかし、人口が多い地域は、正にそれだけの理由から、比例的に大きな政治的発言力を持たせるという考え方はどこか奇妙である。仮に、北海道という土地と住民が、ある日突然、外国の領土になったとする。日本の領土の25%は失われることになる。しかし、日本国民は5%の減少で済む。人口では5%の減少で済むから、日本国の対外的・政治的パワーも5%のわずかな低下ですむだろうか?小生には、そうは思えない。もっと小さくなるというか、弱体化すると思う。
上の思考実験からも浮かび上がってくるように、日本を支えているのは人間だけではない ― 国土もまた日本を成り立たせているというべきだ。
とはいえ北海道は東京都の38倍の議員を選出する権利があるとまでは言わない。全体の4分の1は北海道から選出するのがよいとも思わない。47分の1が道理にかなう。つまり、北海道から沖縄まで全ての都道府県が47分の1ずつの政治的発言力を有する。少なくとも、衆議院か参議院か、いずれかの議院は各地域に等しい政治的発言力を与えることが望ましいと思うのだ、な。
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人口だけを考える平等理念には同意できない ― というより、控訴審の判決は全ての日本人の法の前の平等を実現するものでもない。未成年者の参政権に取り組む議論を避け、数字の計算だけに基づいた底の浅い議論にしか思われないのだな。
その結果、生まれる選挙区ごとの1票の重みの不平等をどうするかと?
かまいませんよ、そんなことは。今度の問題は、理念というより、むしろ技術的な事柄、数字の問題である。
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