生まれて初めて味わった座骨神経痛ではあるが、何しろカミさんが起き上がれない状態なので、何とか三度のメシだけは作ってきた。今日になってやっと「湯治というくらいだからなあ、それに近くの温泉は神経痛・リウマチが効能第一だったはずだよ」というので、正午を間にはさんで4時間程、温泉につかってきた。
まず湯にはいり、体を温める。出て館内にある理髪店の都合をきく。あと30分はだめだというので、予約をする。昼食をとるのに丁度いい時間なので炒飯を食って、それから髪を刈ってもらう。で、また湯にはいる。そんな風にして上がると汗が止まらない。もう一度はいるか、でも一日で治るわけもないわなと思う。
露天湯に浸かり、まだ残雪がまぶしい山の斜面をみる。白樺の幹が雪に接する周りは、暖かいのか雪がとけて、ぽっかりと空間ができている。春を感じる。生きているんだなあと思う。おれが神経痛で温泉に入っているとはねえ…やきが回ったなあ、とそう思う。そういえば祖父が言っていた。『麒麟も老いては駑馬に劣る』。歳はとりたくないものだ。でもまあ、あれだな。杖をついて、足をひきずって歩いても、それはそれで晩年の姿としては渋いじゃないですか。騎士シラノ・ド・ベルジュラックが、修道院にいるロクサーヌを訪れるとき、確か足をひきずっていたはずだ。絵になっていたねえ。年齢にふさわしい姿というものがあるものさ。吉田松陰だったなあ、人生四時あり。人生には長い短いを問わず、自ずから春、夏、秋、冬という四つの季節があるものだ。自分の人生は、他人より短いと嘆く人がいるかもしれないが、ちゃんと四つの季節があり、いま終わるべくして終わっていくのだ。実がならずして世を去るが、自分の志を受け継ぐ人がいてくれれば、秋の収穫にも恥じない人生であったと思う。そう考えてくれというのが、遺書「留魂録」だった。
あつくなってきた、足湯にするか。それにしても、あの爺さんは平気なのかなあ、まだどっぷりと浸かっている。
最初の20年は春だったのかねえ、父も母も元気で。ただあれか、高校時代から父は病気がちだったなあ。次の20年では父が亡くなり、自分は役人になったが、家はバラバラになった。結婚をして、母をなくし、40歳になってから北海道のいまの大学に移ってきた。その後の20年は一番平穏だった。子供達は元気に成長した。そして平均寿命が80歳だとすると、最後の20年にさしかかっている。そんなわけか。だとすると、あれだな、ただの神経痛で、治ったら元どおりになるってものではなく、死に向かって歩みを進めている帰らざる河。その河をまた一つ渡ったということか。人生、非エルゴード的である。歴史もまた非エルゴード的である。生命は、正常状態のまわりで循環する運動ではなく、非常に長い目でみれば誕生から成長、老化、死へと変化する非エルゴード的な、アブソープティブな変化である。
いつ治るのかなあ・・・ではないかもな。あとはずっとこうなのかも、な。いまの状態になれて、いまのままで楽しいことをするのが、これからの課題なのかもな。できないことは随分増えたが、その代わり理解できることは増えた気がする。理解できることが増えれば、それだけ幸福へ一歩近づくということでもあるだろう。不幸の根本的原因は理解力の不足であるというのが永遠の真理だそうだから。絶対的に悪いことは世の中にはないというからな・・・
今日はサウナはやめておくか。
また空が曇り風が強まってきた。
本当に今年の冬はさきが読めない。
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