2013年3月10日日曜日

日曜日の話し(3/10)

日経WEB版をパラパラと ー という表現はおかしい、紙面ではないからなんと言おう、マックのタッチトラックパッドを二本指で擦っているので、ズリズリとになるのか ー 見ていると、日銀の金融政策の<窮極的目標>は物価上昇2%であるのか否やについて、目下議論が持ち上がっているとのこと。
中央銀行や学者の間ではここ数年、物価目標のあり方を巡る議論が活発だ。ハーバード大のジェフリー・フランケル教授は昨年、「物価目標の死」と題する小論文を発表。金融危機の経験などを踏まえ、物価でなく名目成長率を目標にすることを考えるときだと結論づけた。

 90年代前半に物価目標を導入したスウェーデンは90年代後半以降、目標から外れる期間が続いたのを受け、物価以外の要素にも配慮する姿勢に変えた。物価目標を柔軟に考える動きは他の中央銀行の間でも出ている。目標の定め方から量的緩和の進め方まで金融政策を巡る世界の議論は百家争鳴の感がある。

 翻って今月から新体制となる日銀。周回遅れで「物価目標クラブ」に仲間入りする。デフレ脱却へ向けて明確な目標を掲げるのはよいことだ。物価上昇期待が高まれば株価や為替に影響を与え、景況改善につながる。

 だが、政策目標を巡る世界の議論が多様化しているのと対照的に、国内の議論は単純化しつつあるようにも見える。

 安倍晋三首相は、政府による日銀総裁解任権を盛った日銀法改正もちらつかせつつ2%目標の早期達成を日銀に迫る構え。達成時期については国会議論などを通じて「2年」という数字が独り歩きし始めた。首相らが出席する経済財政諮問会議では「いつ目標に届くのか」に議論が集中しそうな気配もある。

 大胆な金融緩和は大いに進めればいい。だが、その究極の目的はデフレから脱却し、持続的な成長を実現することである。国債への信認が保たれ、金融システムに不安はないかなど信用秩序への目配りも大切だ。
(出所)日本経済新聞、3月10日
日曜日だから、物価上昇率目標が政策ターゲットとして適切なのか、不適切なのかを論じるのは今日はやめにしたい。上にあるように名目GDPを使うのもよいが、それならそれで適正な名目成長率を定める必要があり、それは実質成長率目標を定めるより難しいかもしれない。 以前に一度、本ブログで名目賃金の安定が大事だと書いた記憶がある。しかし、文字通りに名目賃金を固定すると、労働生産性は上昇しているので能率労働単位当たり時給は下がることになってしまう。だから、実際の運用は名目賃金の安定を目標にしても、やはり難しい。

ただ、いまやっていることの窮極的目標は何か、と。確かにそこから誠実な良心をうかがうことができるが、たとえば数学を勉強する時に、原点と任意の一点との距離は、その点のX座標とY座標を二乗した和で定義しよう。そうするとピタゴラスの定理が成り立つ世界になるわけで、日常感覚にもあうし、使いやすくもなるのだが、ここで<なぜ、このように決めなければならないのか?ほかにも決め方はあるのではあるまいか??>と、前提というか公理に対して本質的疑問を持ち出すと、確かに前提は複数あって、その認識が数学の発展を導いたのも確かであるが、だからといって常識的なピタゴラス式の空間は低レベルだということにはならないわけである。加えて理論的な進歩には、実に長い時間を要するのが常であり、そんな進歩を待っていると問題は解決できないのだな。

政策現場の人間が、議論の出発点に対して、この出発点は果たして究極的意味合いがあるのか?どうもそういう疑問は感心しない、というか小生の職業倫理には反している。そんな疑問の考察は、学者にゆだねるべきではないか。別の出発点から政策を決定するにしても、為すべき行動はそれほど大きくは異ならない。現場の人間は行動で価値が決まる。そういうことじゃないかと小生は考えている。むかし恩師から"Only result comes"と何度も耳にしたが、その後に"not from discussion but from action"、そんな風に自分勝手に補って記憶したものだ。

それにしてもマネーや為替レートが、これほど重要なものだというのは、不思議に感じる。だって二つとも生活の実質を決める財貨サービスではなく、単なる数字、せいぜいが紙幣という紙にすぎないのだから。

市場で決めることができるのは相対価格、つまり<交換比率>だけである。絶対的な価値を数字で決める能力は市場にはない。これが純粋理論で確認されていることだ。為替レートもA国とB国が発行する貨幣の交換比率にすぎない。その交換比率は、政治方針や中央銀行の裁量で不安定に変動し、その為替レートがA国製品とB国製品の交換比率(=国際競争力)をも(足下では)決めてしまう。実は、(長期的には)そんな風にはならないのだが、ケインズも言っているように『台風で海が荒れている時に、やがて台風が過ぎ去れば海も穏やかになるでしょう』と、そんな正統的な理屈は成る程ありがたくもないわけだ。

実は、芸術家で一家をなした人は銀行家を親に持つ人が意外に多い。セザンヌもそうだし、ドガもそうだったはずだ。また金融業者を顧客にもつ美術家は、近代という時代が来てから、大変増えてきた。古典派の巨匠であるアングルの下の作品も一例だ。


アングル、ジェームス・ロスチャイルド男爵夫人、1848年

ロスチャイルド財閥はドイツのフランクフルト・アム・マインが発祥の地である。現在もフランクフルト市場は欧州有数の金融拠点だが、ずっと昔からフランクフルトはマネー取引の中心だったわけだ。

ナポレオン戦争に敗北したあとのフランス政府が対仏同盟各国に支払うことになった賠償金は国債を発行して借り受けるしか手がなかった。この仏国債を一手に引き受けたのが、父の指示で英国からフランスに移り住んでフランス・ロスチャイルドの祖となったジェームスであり、上の肖像画の夫君であるわけだ。

その後、フランス国債が無事償還されたのか、フランス国内の物価上昇率はいかほどであったか。小生は不勉強でまだ調べていない。ただ上の作品が描かれたのは1848年で、二月革命が勃発した年である。ナポレオン戦争後のフランスは、30年7月革命、48年2月革命、そして52年にはナポレオン3世によるクーデターが起こる。71年には普仏戦争に敗北する。そういう激変の時代である。仏国債は紙切れになったのではあるまいか。そんな心配も胸をよぎる。それでも19世紀後半のフランスは全欧州の文化の中心として人をひきつけたのだから、政治的不安定や軍事的弱体とその国の文化的発展は別物じゃないか。そんな風にも思われるのだな。


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