Hommage to E. Nolde
雪は記憶の底にいつまでも残る。雨はそんな風には思い出さない。雨音がサウンドトラックとなって雨自体の映像をかき消すからだろう。雪の日は、何年たっても、無音の純粋の映像として何度でも記憶の表面に戻ってくるものだ。
小林清親、江戸城旧本丸雪晴、明治10年
(出所)Ukiyo-e Search
俳人・中村草田男が名句
降る雪や 明治は遠く なりにけり
を詠んだのは、昭和6年(1931年)、まだ大学生だった草田男が雪の日にかつて学んだ小学校を再訪したときのことである。
雪が人の埋もれた記憶を呼び覚ますのは、いつの時代も同じであるとみえる。
最後の浮世絵師と言われた小林清親は、明治10年2月から9月まで続いた西南戦争のことを聴きながら、上の絵を制作したのであろう。将軍家定正室・天璋院も最後の将軍・徳川慶喜もまだ存命していて、大日本帝国憲法は発布されてはいなかった。この年、名実ともに武士の世が終わったと言われている。
江戸城本丸は、文久3年(1863年)に不審火で焼失し、以後再建されることはなく、徳川幕府は最後の4年間を西の丸を政庁として過ごしたのである。その西の丸が、維新後は宮城となり、いまは皇居と呼ばれ、旧幕時代の本丸と二の丸・三の丸跡地は東御苑として開放され、憩いの場となっている。
こうなるまでには数えきれないほど多数の人間の葛藤と命のやりとりがあったわけであるが ― 日経に連載中の小説「黒書院の六兵衛」の中でも当時の人々の情念が見事に再現されているが ― いま生きている人の心には昔のゴタゴタなど一切影を留めてはいない。
忘れることができるから人間は何十年も生きていける。記憶に残していくべきことと、忘れるべきことの境界は、「真理」とか「事実」とか、それ自体フィクシャスである物差しによることなく、自然の働き、純粋の気持ちのままに放置するのがもっともよろしい。小生はそう思う。国も社会も同じである。
歴史もまた社会の発展の土台、その時代に生きている人間を支えるものとなって初めて意味を持つのであり、歴史それ自体に重要な意味があるわけではない。ということは、「歴史に関する統一的見解」などは、国益を目的とした外交戦略のことである。それが小生の見方だ。
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