こんな国ではいかん、というのがエリートを自認する人々の共通の話術だ。凡人はそんなことを考えない。凡人の頭にあるのは自分の事業や家庭、我が身の先行きである。国や社会は与えられた環境であって、それを変えようなどとは発想しない。もし幕末に吉田松陰や坂本龍馬のような志士がいなければ明治維新はなかったろうし、その前に討幕運動もなかったろう。しかし、その場合には日本は反植民地になっていたかもしれず、アジア全域がそうなっていたかもしれない。それでもやはり、そうなれば日本には欧米の制度や文化、価値観が輸入されて民間企業が多数生まれ、日本人の舶来崇拝心理が形成されただろう。岩崎弥太郎が既にそこにいれば、彼が三菱を立ち上げることに変わりはなかったかもしれない。いなければ別の人物が同じことを思いついただろう。三井財閥や住友財閥が富を築いたことにも変わりはなかったろう。そのあとは、中国、朝鮮半島と同調しながら、20世紀の中頃には独立運動が高まり、何年もの間、戦争状態を続けたようにも思うのだ、な。
こう考えると、筋道は違うにせよ、勤王の志士や維新の元勲がいなくとも、大多数の日本人に与えられていた近代日本の歴史の歩みは、現実の歴史と ―表面的印象はともかくー 大して実質的な違いのあるものじゃあなかった。そうも言えるとおもうのだな。本当の意味のエリートはごくごく少数である。その数少ないエリートの言動いかんで、国全体の歴史が左から右に変わるなどと考えること自体がどこか奇妙である。変わるとすれば、年表に出てくる重要事件の並び順くらいであり、国の発展の中身は少数のエリートの言動とは関係なく、そのとき生きていた普通の国民集団が同じであれば、似たようなものであったに違いない。凡人集団だけでも社会は発展するが、エリートが過剰に影響力を持てば、社会は不安定化するはずだ。
明治維新などなくとも、薩長藩閥などなくとも、19世紀の後半に黒田清輝という若者が鹿児島県からフランスに渡り、そこで美術に目覚め、日本に帰ってから新しい感覚の洋画を紹介したことにも変わりはなかった。そこまで言えるかもしれない。
黒田清輝、「読書」(1891年)&「湖畔」(1897年)
上の作品は、日清戦争の前と後に描かれているという点で、近代日本の節目を芸術面で形成しているわけでもあるが、仮に近代日本史が現実の歴史とは別の歩みであったにしても、日清戦争などはなく、したがって巨額の賠償金とそれを基にした産業革命などもなかったとしても、それとは関係なく別の成り行きから日本には近代産業が輸入されていたろうし、あの時代全体を思い起こすと同じような作品は、誰か(おそらく同じ黒田清輝の手によってであろうが)日本で制作されていたと考えてしまうのだ
まあ、湖畔の女性がもっている団扇の絵柄が少し違っていたり、読書をしている若い女性のスカートの色がスカーレットで、ブラウスの色が黒であるくらいの相違はあるかもしれないが、大体は同じであったろう。
思想や哲学は、人間の議論や行動スタイルを決めているように一見思われるが、暮らしに必要な生産や流通のあり方が毎日何をするかという全体を決めている。存在しているのは言葉の洪水ではなく「沈黙せる現実」である。海や川の水面を人間は一生懸命泳いでいるが、上空からみると、泳いでいる人は真っすぐ泳いでいるという主観とは関係なく、潮の流れや川の流れに沿って、水の流れる方向に移動している。同じことである。この辺り、やっぱり、小生、かなりな唯物主義者である。いまマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読み直しているが、波長が合わないのは当然でもある。
そんな風に思わせる点で、近年軽薄化しつつあった韓流ドラマにしては、できのよいドラマである。
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