2013年4月25日木曜日

靖国神社とYasukuni War Shrineのいずれか一つを否定できるのか?

安倍内閣の靖国神社への姿勢が問われている。

中国ではこんな感じだ。
2013年4月24日、人民日報は日本の団体による靖国神社参拝について伝えた。以下はその内容。

日本の団体による靖国神社参拝に対し、国際世論は強烈に反応し「こうした挙動は隣国との関係を深刻に悪化させ、侵略戦争の歴史を否認し、第2次大戦の成果を否定する狂った挙動だ」と指摘している。(出所)レコード・チャイナ
上のページはロシアの論調も伝えており、こう書かれている。
これに対しロシア科学アカデミー極東研究所のベルゲル首席研究員は、「日本の政治屋は周辺国との関係改善を望むと表明する一方で、国際関係の正常化に反する挙動に出ている。日本には第2次大戦中に犯した犯罪行為を否認し、第2次大戦の成果を否定する意図があるのではないかとの疑念を人々に抱かせざるを得ない。それは世界の人々が許さないことだ」と述べた。(出所)上と同じ。
韓国ではこうだ。
The front pages of many major newspapers in South Korea on Wednesday carried photos of the visit by a large delegation of Japanese lawmakers to the Yasukuni war shrine in Tokyo, a reflection of the sensitivity in Seoul to Japan’s shift to the political right. ... Chosun Ilbo, South Korea’s largest circulation paper, quoted an international relations expert who said that if Japan argues it wasn’t an invasion, Hitler’s aggression towards Poland wasn’t an invasion either. The newspaper also profiled Mr. Abe and Deputy Prime Minister Taro Aso’s previous comments on historical issues.   Source: Wall Street Joural, Korea Realtime, April 24, 2013, 7:52 PM
福田康夫氏が首相在職時の頃はまだA級戦犯の靖国神社合祀が主に問題視されていて、戦没者を弔う日本人の宗教行事それ自体の是非が問われているわけではなかったように覚えている。いまは別に合祀問題が論議されているわけではないが、本質はまだ変わってはいないだろう。ま、細かい事情はともかくとして、敗戦国が戦時の戦争指導者を敗戦後も英霊として祭り、ずっと参拝するのは、何を考えているのだ、と。やっぱり外国にはそう見えるのじゃないのかねえ・・・とは思う。外国人がいう筋合いじゃあない、余計なお世話だというなら、それは間違っていると否定するつもりも小生にはない。靖国参拝批判は、倫理的な攻撃であると同時に、何より中国、韓国が自国の利益を拡大する外交戦略でもあるからだ。

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しかしだねえ、もし日本の発展のために礎となった戦没者たちを慰めるという気持ちが根っこにあるのなら、王政復古の後、戊辰戦争で敗者として死んでいった日本人達も、同じ日本人であり、その後の日本人に大和魂の何たるかを伝えているのではないか。それもあるからこそ、今年のNHK大河ドラマでは会津藩を主役の側においたのではないのか。しかし、会津藩、長岡藩など幕府に忠節を尽くして戦った日本人達は靖国神社には祀られていない。維新の元勲であった西郷隆盛が率いた薩摩兵たちも西南戦争で賊軍となったため靖国神社には祀られていない。

靖国神社に祀られている英霊は、官軍の兵として散った魂だけである。天皇と戦った ー 戦ってしまった日本人は「英霊」とは呼ばれていない。

東条英機元首相・陸軍大将もまた日本国に尽くした英霊となりうるのであれば、西郷隆盛は何故そうではないのか?時代を超えて忠節を通した会津藩の武士道は尊崇される資格がないとされているのは何故か?やはりここには皇室に忠義をとおして死んだ者だけを祀るという思想が根底にある。一言で言えば、尊皇思想であって、皇室尊崇の感情が靖国神社を「靖国神社」たらしめている。

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確かに江戸期・封建社会を明治・中央集権国家に造りかえるうえで、<尊皇(攘夷)>は一番の勘所であったろう。しかし、このような政治思想、というか国家システムは、1945年に破産し、倒壊したのである。「国体護持」を条件とした降伏であると言い繕う指導者も当時いたようだが、現実は無条件降伏であって、そうではないと考えるのなら、無条件ではなかったのだ、「国体」は国際社会の中で守られているのだと立証したうえで、それを国際社会で理解してもらえばいいのである ー 不可能だと小生は思っているが。

戦後日本の法制上の建前は、明治憲法を改正したものであり、形としては日本国家は明治から大正・昭和・平成と連綿と続いているわけである。しかし、その認識がそもそも間違っていると小生は考えている。この点では、憲法学者・宮沢俊義の学説である「八月革命説」に賛同しているのであって、戦後日本において尊皇思想の居場所はどこにもない、というか失われたと言うべきであろう。だとすれば、尊皇思想の象徴である靖国神社こそ、財閥や内務省などよりも先に解体されるべきであったのかもしれない。こう言い切ってしまうと過激だろうか。

もし近隣諸国による日本批判が、外交戦略を超えて、戦争を終結させた思想にふれているのであれば、日本も聞くべき耳をもたなければならない。これが小生の立場である。戦争終結時には、勝者と敗者があり、敗者は何事かを受け入れているものである。戦前期の日本国家を解体することがポツダム宣言の趣旨であり、それを受け入れて降伏したという事実がありながら、68年後の今になって「日本には守るべき伝統がある」という。安倍首相の言葉は誤ってはいないが、1945年の降伏時に日本が失った伝統、捨てざるを得なかった伝統。これらも又あったのだということまで忘れると、国際社会に対して嘘つき(Liar)となりはしないか。そもそも「敗戦」とはそうしたものだ。もう永遠に取り返しがつかないというと、必ずしもそうではあるまいが、確かに昭和前期の指導層が犯した失敗はそれほどにまで大きいのだと思う。そのうえで靖国神社を語るべきであろう。

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