2013年4月1日月曜日

病の心配をしたら両手でも足りない

授業が始まるまでは、時間があって、いろいろと思いついては書いておこうという気になる。

俳優の柄本明が前立腺ガンの手術をしたとのこと、ご令室があるイベントでそれを語った所、会場はその病名をきいて衝撃がはしったということだ。

小生も前立腺肥大症にかかっており毎晩”フルバス”を服用している。小生の場合、アレルギー性鼻炎で長期連用していた”ニポラジン”の副作用ではないかと疑っている。この薬の副作用としては白血球の減少もあげられており、実際、当地で暮らし始める前は白血球数も正常値であった。やっぱり副作用じゃないかと思うのだな。眼圧もそうだ。こちらに来てから高眼圧になった。それで”アレグラ”に変えて、最近は時々飲んでいるいるくらいだが、元には戻らない。

この3月は座骨神経痛が出てくるし、これからも経験したこのない病気になって、戦っていくのだろう。その戦う姿を見せることが、親たる者の最後の仕事じゃと云われれば、そんなものなのかねえ、今の時代は、と。ただ思いますよ。前立腺ガンでなくて、認知症だったら良かったのですか?脳梗塞が発症したのであれば良かったですか?大腸ガンではどうですか?心臓病の手術ならどうでした?脳腫瘍の手術なら?

どれかになって死んでいくのは確実なのだから、何になろうと驚く事はない、そんな風に開き直る権利くらいは、人間一人、誰でも持っているはずだ。驚かしてすいません。あやまる必要もなければ、何でこのおれがと落胆するのも理屈に合わん。

一つだけ、できたら有り難いかもしれないことは、いつ死ぬか、何歳で死ぬか、自分で決める事ができれば、「衝撃」を受けることもないかもしれない。しかし、一度決めたことを取り消せないのであれば、悔いを千歳に遺して身罷る人が増えようなあと思う。何度でも変更できるなら、何歳までも生きられるということなので、これは無理筋だ。第一、いつまでも何かが心配で死ねないなど、勘弁してほしい。自分で決めるには余りに重すぎる事は、神様に決めてもらうのが一番だ。

だとすれば、何かの病気になって、最後は神様がお迎えをよこすというのは、人間にとっては<おまかせスタイル>で、これが案外、生きていくにはベストのあり方だと言うべきだろう。

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