こんな塩梅じゃあ、今年の桜開花は北海道はうんと遅れそうである。そういえば、三月下旬までは桜前線が急速に北上し、知らせによると3月内には桜も散ってしまったそうだ。その後、桜前線は停滞気味であり、4月中旬には信州の辺で満開の桜に雪が降り積もると。そんな映像を見た覚えがある。いまはどこで花は咲いているのだろう。ひょっとすると、咲いた桜は散ってしまい、咲くべき桜は蕾のまま、日本のどこにも桜の花が咲いていない。どういうかね…「桜エアポケット」というか、そんな一時期が今年は発生してしまうかもしれない。もしそうなら、これまた滅多にない稀有な事態であろう。
小生は、実を言うと桜の花が咲く時節は嫌いだ。妙に埃っぽいし、まだ肌寒く、それに桜の花の下のあの喧噪はどうだ。外出すると頭が痛くなるのが満開の桜の頃だ。とはいえ、幼少時の時分から今までを振り返ると、懐かしい情景にはいつも桜の花があった。郷里である伊予・松山で花見に出かけ重箱をつついたこともある。高校の入学式は桜吹雪の中を母と歩いていった。そういやあ、カミさんと結婚式を挙げたのは4月15日だが、偶々その冬は厳冬で松山・堀端の桜はちょうどその日の前後に満開であった。薄紅色の桜の花が水面に生えて実に美麗であった。母が最後の療養をするため棲んでいた取手市の宅を出て行くとき、周りの桜は満開でその花を母が見ることはもう二度とないだろうと。そんなこともあったと思い出す。今は勤務先の大学構内にある桜並木を一枚は写生しておこうと思っているところだ。
鏑木清方、Flower Wind、1910
(出所)浮世絵検索
小林清親の作品を話題にすれば、鏑木清方を次に語るのは当たり前でありんすな。Flower WInd − 和風に云えば、花吹雪でござんしょう。
小生も、下手な絵で仕方もないが何かの形にして「自己外化」しておかないと、桜が咲く頃には何だか心の中が騒いで、気分は鬱になる。まあ、こんな気分は小生一人きりの心持ちであって、誰に話すでもない。話してもわかっちゃあくれない。小生が死んでしまえば、もともと無かったことになる。それでも「作品」にしておけば、いつか子孫がいま小生が桜に接した時に感じる心象を再現してくれるかもしれないではないか。
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