2013年6月2日日曜日

日曜日の話し(6/2)

サイズが合わない、間尺に合わない、つじつまが合わないことは結構ある。

数年前に画作を30年ぶり位で再開して、小生がいま暮らしている市の展覧会に応募してみた。その時は、F10号の油彩画を出品した。幸いに – というか、応募点数をあとで知るとよほどおかしくない限り入選したのだろうと思うのだが – 通ったのが大変嬉しかった。ただ実際に市展が始まってから分かったのだが、大半の人は30号とか50号で制作しているのだな。要するに、大作を出している。小生は何分の一かの小品を一つだけ応募したわけ。ちょっと誠実さを疑われても仕方のない出し方をしたわけだ。なので、翌年は30号と10号の二点を応募して、大きい方の30号を展示してもらった。ところが30号の作品なんて、自宅に持ち帰って置く所に困る。額縁をつけると重くなるし、大きすぎる。毎年、描いていったら、厄介者になることは必至なのだ。

アマチュア向けの公募展となると『一枚の繪』でやっている「日曜画家コンクール」、それから上野の森美術館で開催されている「日本の自然を描く展」が主な二つである。サロン・デ・ボザール展もあったが組織が解散してしまった。日曜画家のほうは、今年度からの変更だと思うのだが、出品作はF6号に統一されている。上野はF8号ないし10号でいい。それで、上野のほうにF8号と10号を一枚ずつ応募してみた。自分では8号のほうが自信があったのだが、10号のほうが入選したという通知が先日届いた。


晴れた朝、旧いカトリック教会をみる

「オレのとは違うなあ」というとドラマのようだが、出して言うのもおかしいが、何でもう一つの方じゃあなかったのかなあ・・・と。画風が合わない、違うなあということか。

これは「違うだろ!」というのは、もっとすごいのがある。自民党の大物国会議員OBが共産党の機関紙『赤旗』に相次いで意見を開陳している。野中元幹事長は憲法、戦争と平和について縷々のべている。古賀元幹事長もそうだ。安倍内閣の憲法96条改定の動きについて「絶対にやるべきではない」とのべ、強い反対を表明している。それから加藤の乱で有名な加藤紘一元幹事長が『赤旗』とのインタビューで従軍慰安婦問題を語っている。保守派の愛読紙である産経新聞はこんなコラム記事を載せている。
安倍晋三首相が旧日本軍による慰安婦募集の強制制を認めた「河野洋平官房長官談話」(平成5年)の見直しを表明したことに対し、自民党の加藤紘一元幹事長が20日付の共産党機関紙「しんぶん赤旗」日曜版紙上で批判した。自民党の元重鎮が他党の機関誌にわざわざ登場して“身内”を攻撃するとは、寡聞にして知らない。慰安婦問題をめぐって米紙ニューヨーク・タイムズはじめ海外メディアが「日本叩き」を強める中、加藤氏が加勢した格好だ。 
(中略)
政界から引退しながら、誰も頼んでいないのにノコノコと中国に飛び、「尖閣諸島は係争地」と放言した鳩山由紀夫元首相を、小野寺五典防衛相は「国賊」と指弾した。加藤氏の赤旗紙上での慰安婦問題をめぐる発言も国賊級だが、来る訪中で“余計”な言動をすれば、それこそ「国賊」となろう。(政治部編集委員)
(出所)msn産経ニュース、2013年1月26日
あたかも元自民党議員にして共産党機関紙に登場するなど「非国民」ならぬ「国賊」であるという扱いだ。小生も、保守的感性が醸し出す伝統尊重には大賛成なのだが、いわゆる「保守派」の方々の器の狭量なること、他を攻撃することの急なる点、時に辟易する思いだ。日本文化の優美と自称「保守派」の面々の粗暴。これまた間尺に合わないことよ。このアンバランスは何とかならないのかと思う。

いまNHKの『八重の桜』を観ているが、いよいよ会津藩は賊軍となり、官軍の討伐をうける前夜である。会津藩は幕命に従い、職務を忠実に果たしただけだったのだが、権力闘争の敵役に選ばれ、滅ぶことになった。役所や企業でもこんな割の合わないことは日常茶飯事である。これもまた、どこか「間尺に合わない」、「サイズの合わない」ことをやっちまったしっぺ返し。因果応報という点では、訪れるべくして訪れた一つの歴史的結果が会津藩の顛末だったのか。そんな風にも感じながら、憐れみを感じ、次回以降が楽しみになった。


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