原発政策が、「3・11」前に逆戻りし始めたのではないか。安倍政権の姿勢に、そんな懸念を持たざるを得ない。
経済政策「アベノミクス」の第三の矢として閣議決定した成長戦略に、原発再稼働への決意と原発輸出への強い意欲が盛り込まれた。それを先取りするように、安倍晋三首相は原発輸出の「トップセールス」にまい進している。
東京電力福島第1原発の過酷事故を踏まえて自民党は、昨年末の総選挙で「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立」を公約に掲げたはずだ。なし崩しの方向転換は、とうてい認められない。
(出所)毎日新聞、2013年06月16日 東京朝刊しかし、日本国内の原発が全て稼働を停止したのは、東日本大震災が発生した2011年3月11日ではない。大震災後も原発は稼働を続けていた。全面停止に陥ったのは、大震災から1年以上たった2012年の5月5日である。この日、北海道電力の泊原発3号機が定期検査に入り、1970年以来42年ぶりに、全原発が停止する状態になった。以下のように報じられている。
国内の原子力発電所で唯一運転している北海道電力の泊原発3号機(北海道泊村)は5日深夜、定期検査に入り発電を停止する。政府は昨年3月の福島第1原発の事故を受け安全対策を見直すとともに、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働を求めてきた。しかし地元自治体などとの協議は難航。1970年以来42年ぶりに全原発が止まる事態となった。
政府は2010年の猛暑を想定した需給を検証している。関西、北海道、九州では供給難が危ぶまれ、融通などを考慮すると、日本全体で家計や企業に節電の努力が迫られる見通しだ。枝野幸男経済産業相は関西電力管内で今夏の計画停電への備えに言及してきた。
泊原発3号機では5日午後11時ごろに出力がゼロになる見通し。北海道電は定期検査の期間を71日程度とみている。その後、再稼働を視野に安全対策を確認するため、ストレステスト(耐性調査)の1次評価結果を国に提出する方針だ。
政府は原発を当面活用する立場を保ち、ストレステストで先行した大飯原発を再稼働の最有力候補とみる。ただ立地する福井県や電力の消費地である京都、滋賀、大阪などの自治体との調整の行方はなお不透明だ。
日本ですべての原発が止まるのは、70年に日本原子力発電の東海原発と敦賀原発1号機が定期検査により停止して以来。その後は原発の新増設が続き、東日本大震災の前まで電力の約3割を原発が供給してきた。大規模な事故を起こした東京電力福島第1原発の1~4号機は今年4月に廃止が決まり、現在の国内にある原発は50基。
(出所)日本経済新聞、2012/5/4 19:54 (2012/5/5 0:45更新)そもそも、大震災が直接的な原因になって、原発の安全性に疑問が生じ、安全管理の必要性から原発を止めるというのであれば、3.11の大震災直後に直ちに全原発を止めていたはずである。しかし実際には、上に引用したように、原発は動いていたし、泊原発が定期点検に入るまで、政府は別の大飯原発を再稼働させようと、懸命に協議をしていたわけである。その協議が、地元の反対によって整わず、<図らずも>全原発が停止することになったのが実態である ― このときに協議が整わなかった大飯原発が、いまは特例として再稼働を認められている唯一の施設であるというのも、何とも皮肉というか、支離滅裂な話ではないか。猛暑を乗り切るには電気がいるというのが理由だが、ま、言い方は悪いが、現在の原発停止は、大震災に端を発した安全意識の高まりというような、理念に基づくというか、哲学的というか、そんなハイレベルの話しではないと思う。
今なお国内の原発が再稼働に至っていない理由は、大震災がもたらした安全性に対する懸念というより、政府の原発管理政策が迷走したことであろう。具体的にあげるなら、大震災から2か月たった2011年5月6日、菅元首相が中部電力に対して浜岡原発の全ての原子炉の運転を停止するよう超法規的な要請を行った。まず挙げるのはこの点だろう。
菅直人首相は6日夜の記者会見で「中部電力浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)のすべての原子炉の運転停止を中電に要請した」と述べた。浜岡原発では4、5号機が現在稼働中。中電は定期点検中の3号機の運転を再開する可能性を示唆していた。
(出所)日本経済新聞、2011/5/6 19:16
最初に引用した毎日新聞の記事を読むと、原発再稼働は3.11以前に逆戻りすると言う。大震災があった日からずっと原発は止まっているかのようだ。確かに、東日本大震災と福島第一原発事故は、一連の不幸な出来事ととらえるのが適切だ。しかし、3.11と全原発停止には因果関係はないと見るのが、客観的な事実ではないだろうか。大震災後も原発は稼働していたし、大飯原発は「背に腹はかえられない」というので再稼働しているし、そのことをマスメディアがどれほど批判してきたのだろう。今になって、大震災と原発停止を結び付けて記憶するのは<伝説のはじまり>である。
原発再稼働は、3.11以前に逆戻りするという選択ではなく、超法規的停止要請があった5.06以後の混乱がようやく終息する。言語表現からいえば、こういう言い方がはるかに正確であると思う。
江戸期・ペリー来航以後、幕府の為政者は開国政策に転じることは「鎖国」という伝統を否定することになると苦悶した。しかし、鎖国は「鎖国政策」と命名して実施した先祖伝来の政策では決してなく、その時はその時でキリスト教、カトリック国とプロテスタント国それぞれの意図などを憶測しながら、幕府の利益に最も沿うようにとった外交戦略だった。それも三代将軍になってからだ。それが200年もたつと、『幕府伝統の祖法である鎖国を変えるなど、断じてまかりならん」と、そう思って自らの手足を縛る原因になるのだから、「伝説」を信じていては身を滅ぼすというものだ。
枝野幸男経済産業相は14日、政府が策定中のエネルギー基本計画について「将来ずれる可能性が高い数値目標は避けたい」と述べて、同計画に2030年時点の原子力発電の目標比率を明記しない方針を示した。経産省で開いた総合資源エネルギー調査会基本問題委員会(経産相の諮問機関)で明らかにした。
(出所)日本経済新聞、2012/11/14 23:08
「原発はいかん」と政府が判断したことは一度もない。自民党はいつそう決めたのか。民主党は本当にそう決めたのか。一度決めたことは、二度と変更しない保証はどこにあるのか。大震災・福島原発を反省して原発をとめたというのは「伝説」である。マスメディアは、読者を言いくるめるような語り方はやめて、考えることは正面から堂々と、原発を完全にやめるべきだ、と。特例になっている大飯原発も止めるべきだと。自社の責任において、そんな論陣を張るべきではないのだろうか。そう思えて仕方がないのだ、な。
あっと、一つ残っていたか……、自民党の公約「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立」は、「原子力に、これ以上、依存しなくてもよい経済・社会構造の確立」のミスプリでござんしょうなあ。政治家の心の中はわからぬが、発言や行動をみていると、そうとしか解釈しようがござらぬて。
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