尖閣諸島の領有権については日本の公式の立場は明確である。それはたとえば外務省のホームページでも伝えられている。その要点は次の文章に言い尽くされている。
- 尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり,現に我が国はこれを有効に支配している。尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題はそもそも存在しない。
- 1968年に周辺海域に石油資源が埋蔵されている可能性が指摘された後,1971年から中国政府及び台湾当局が同諸島の領有権を公に主張。
そもそも尖閣諸島がどの国の領土であるかは解決済みであり、「問題」などはないのだから、協議をする必要性はない。解決済みであるのに、中国は後になってから問題を蒸し返してきた、というより「欲しがり」はじめた。こんな態度に真面目に付き合い始めたら、じゃあ「沖縄はそもそも中国領土だ」と言い出したら、「ちょっと相談しましょうか」、「九州だって、うんと昔は中国が領土と認識していたんだよね」、そう言われたら「エッ!困りましたなあ、相談しましょうかねえ」。何でも相談しないと不誠実にあたるのか?そんな考えもあるので、一概に外務省の「門前払い」が間違っていると言うつもりはない。
しかし、尖閣諸島は日本だと江戸期・旧幕時代に考えていたかといえば、そもそも琉球だって日本とは別の王朝国家であったわけである。日本になったのは、明治維新で開国した以降のことである。即ち「琉球処分」だ。明治以後の日本の近代史は、問題が多数錯綜しているので、まだ多くのことが灰神楽のような混乱の中にある。こんな基本的認識にたつことは、歴史科学的にみて間違いとはいえないのではないだろうか。
外務省の「問題は存在致しません」という言い分を聞いていると、バブルが崩壊した1990年代初頭、銀行経営者や大蔵省・日銀が「不良債権などという問題は存在致しません」と白をきって責任を回避していた状況を連想する。「実は大変なことになっておりまして・・・」と、直接責任者が定年で引退して、うんと後輩が責任ある立場について初めて問題の所在を認めた時には、既に解決が困難な状況に追い込まれていた。こんなタイプの管理ミスを日本的組織は往々にしてやってしまう。これもあらかじめ知っておいたほうがいいと思うのだ、な。
自分に何の落ち度がなくとも、隣の住人が「お宅の樹の落ち葉がうちの庭にいっぱい落ちてきて、それを掃除してたらギックリ腰になったんですよ、治療費を払ってください」と、そんな紛争は日常茶飯事なわけである。
「法律的には責任は存在致しません」では、問題の本質は解決しないのである。理屈でどうこう言えば相手も理屈を言ってラチがあかないなら、要するにカネのやりとりか、その他の相互援助体制作りでしょう。裁判をして決着をつけてもいいが、恨みが残るとなると、問題は結局何も解決していないわけである。問題を解決する方法として、行政官が法的論理で詰めるのは一つの方法であるが、政治家は行政府の役人ではない。論理以外の論理で解決して見せれば、それもまた「アートとしての政治術」になるだろう。
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