身を切る…、橋本代表の語るところを(メディアを通してだが)聴けば、具体的には『議員の給料を下げる、公務員の給料を下げる、そうやって身を切る。そうすれば、エアコンを買うくらいのカネは出てくるんですよ』。ま、こんなところである。
家計が赤字で貯金も底をついてきた。子供達の小遣いを減らしたい。それならそうで、まず大人たちが身を切ることから始めるのが筋だろう。「お父さんたちも我慢しているのだから、お前たちも我慢してくれ」、そんな論理であるな。故に、祖父や祖母の医療費は節約してもらう、お父さんの酒代、たばこ代、ゴルフ代は節約してもらう。お母さんのトールペイント代は節約してもらう。そうやって子供たちのお菓子代を節約して、未来につながる教育費を確保する。
これと同じだ、と。分かりやすく言えば、カネの使い道を考えろということだ。使い道がなければ減税しろと言ってもよい。要は、政府、というか公的部門は何を仕事にするべきか?いかに運営するべきか?ここにたどりつく話なのだな。
☓ ☓ ☓
議員の給料を減額するよりは、必要のない議員は削減するほうが効果的だ。
公務員の給料を減額するよりは、余っている公務員には退職勧奨を行うべきだ。
議会の審議は必要で、公務員の雇用も業務上必要なのであれば、給料の減額を埋め合わせる形で副業を容認しないと理屈に合わない。
というより、公務員の給料減額と引き換えに副業を認める方向をとるなら、むしろ本業をもった人材が安い給与で公務を担当可能とするほうが、維新の党の理念には一層沿うはずである。
実際、デモクラシーの源流である古代アテネでは、裁判を担当する判事は市民から選ばれていた。いわゆる職業裁判官はおらず、故に裁判に必要な人件費コストはゼロであった。軍事行動も自由市民が自らの支出で負担する武具を装備する重装歩兵密集部隊(=ファランクス)が中心だったので、職業軍人に支払う人件費もゼロであった。装備費もゼロであった。
すべての公務員の給料をゼロとすれば、これこそ究極の「身を切る改革」になるはずだ。その理念は、独立した自由市民を基盤とする共和社会の構築。立派な理念である。「小さい政府」を希求する一つの立派な政治的立場である ― この究極的状態でなお天皇制をしくのは、どう考えても矛盾した発想なので天皇制維持はこうした方向と(本来)矛盾している。
なぜ維新の党は、理念を希求するための戦術に過ぎない「身を切る改革」を目的であるかのように、提唱しているのであろうか?分からぬ。
理念を語らず、アクション・プログラムのみを説明しているために、維新の党は必要以上に危険視され、低能視されている。政党として大変損な行動パターンをとっている。そう思うのだ、な。
もちろん上のような全公務員の給料はゼロ。公務員は別に本業をもった有能な人材をもって充てる。こんなシステムにも落とし穴はある。が、これはまた別の機会で。
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