2015年2月27日金曜日

白鵬と木鶏の話し

先日、白鵬がとり直し審判を批判したというので盛んに反批判された件について投稿した。

双葉山が70連勝を阻止されたときの名文句『いまだ木鶏たりえず』。なぜそれを白鵬に贈らなかったか、不審に思うという趣旨だった。

ところが、だ……白鵬関、この木鶏のことを知っていたのだねえ。昨日になって以下の記事を見つけたのだ。

強い闘鶏は、木彫りの鶏のように動かず泰然としている、との中国の故事に由来した言葉。横綱双葉山は、連勝が69で止まった時、「イマダモッケイ(木鶏)タリエズ」と友人に電報を打った。白鵬は昨年夏場所、自身の連勝が33で止まった際に支度部屋で「いまだ木鶏たりえず、だな」と話した。
(出所)コトバンク

引用元には「デジタル大辞泉の解説」と「朝日新聞掲載『キーワード』の解説」とがある。上に引用した一文は朝日新聞の方である。

どうも横綱白鵬は、いまだ「木鶏」の境地には至らない自らを知っていたが故に、足らぬ自分が取り直しの無念を言うのは自然である。そう思って、そう語った。そう憶測するのが事実かもしれない。

以上、先日の補足。

それにしても、国会審議の場で安倍総理自らが野次の応酬に参加した。それを注意されて、翌日『いまだ木鶏たりえず』といって謝ったというから、どうも木鶏という言葉も日常化してきたようだ。

元々は中国由来の「木鶏」だが、現代中国で「木鶏」が使われることはあるのだろうか。いや…、あるはずはないか……。そもそも『荘子』はまだ読み継がれているのだろうか。

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