サウナと露天風呂を往復して最後はジャグジーで終わりにする。
昨日は晴れていながら気温は低く冷え込んでいたので露天風呂が快適だった。
湯けむりに 雪見のはなも おぼろかな終わって二階に上がり休んでいると眠くなった。小一時間ウトウトして昼前には宅に帰った。
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最先端医療機器の国内承認が遅れているので、欧米で治療しない限り救えない命が多くある。その問題である。とり上げられていたのは、児童用人工心臓が未承認のため、アメリカで治療をうけて帰国した家族だった。ひょっとすると数百万円の費用がかかったかもしれず、それも全て自己負担であろう。
日本の医療分野の臨床試験が遅れがちな理由は色々あるようだが、番組の中でも解説されていたように、現場を知らない少数の権威(それから一部の国内勢力?)が問題点の指摘をおこない、その対応に時間をとられるからである。いわゆる「有識者」のご意見拝聴—ま、どこにでもある日本的情景が医療にもあるということだ。
そうでなくとも中央官庁は担当官庁の責任の下に政策を決めることは困難であり、常に四方八方から圧力や批判にさらされている。そして官庁を指揮する閣僚は世間の批判に対して極めて弱いのだ。『石橋を叩いても渡らない』ほどの不合理な慎重さがまかり通るのは、そのコストが(現行制度では)ゼロであり、待って状況の推移を観察することのオプション価値が(僅かであれ)プラスであるからだ。
行政府の手続きの遅滞によって、外国での治療を余儀なくされ、高額の医療費を自己負担せざるを得なくなった患者は、国を相手取った行政訴訟を起こし賠償を求めるのが本筋だと思うのだ、な。広く海外で採用されているにもかかわらず、少数の専門家の言い分を根拠に承認を遅延させている行為は、国民の権利を不当に制限している、と。そんな最高裁判決が出れば、行政府は司法判断に沿って方針を転換せざるをえない。
司法の判断に行政府が振り回されている韓国にも問題はあるかもしれないが、司法が果たすべき役割は確かにある。
議員定数配分の違憲判断もいいし、集団自衛権関連法案の違憲訴訟も予想される。しかし、議員定数は少々平等になったところで、国会審議の方向が目に見えて変わるだろうかというと、おそらく何も変わらないだろうと。そうも思うのだ。
医療をはじめ国民の幸福と深く関連する行政で納得のいかない問題があれば、司法の判断を仰ぐのが定石である。また、司法府は行政の偏りや不合理な遅滞を修正することが寧ろ日常的に期待されている役割なのだ。そう思うのだ、な。
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