初場所の取り組み白鵬・稀勢の里戦では物言いがついて取り直しになった。観客は大喜びだった。取り直しでは自力の差が出て横綱の完勝となったが、後で横綱が審判を批判したというので「奢ったか」、「品位にかける」などなど、様々な批判が噴出した。ある週刊誌などは「腹に一物を含んだ横綱」というような一寸ゲスな表現をしていた。当人は『いやまあ、散々でござる』と言いたいだろう。まったく……ただ怒るだけでは問題が解決されないことが多いものである。大体、それほど怒ることだったのか。そんな感じもする。
というので、誰が言うだろうかと観察していた所、相撲好きの誰も言い出さないのでガッカリしたのが、双葉山の言葉だ。
といっても、小生自身が聴いたわけではなく亡くなった親父がよく話していたので覚えていたのだ。
双関が安芸ノ海に敗れて連勝が69でストップしたとき、双関は『いまだ木鶏たりえず』。ただ一言そう言ったのだそうだ。
「木鶏」とは初耳だったので、親父にその意味をきいたのだが、それは小学生何年生だったろうか。
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言葉の出典は中国の古典『荘子』である。Wikipediaから引用しておこう。
故事では紀悄子という鶏を育てる名人が登場し、王からの下問に答える形式で最強の鶏について説明する。確かに横綱白鵬は双葉山が口にした「木鶏」の境地にはなかったようである。が、けれども荘子はモンゴルの人が嫌う漢民族の人であるから、こんなエピソードは不適切かもしれない。だから、相撲に詳しい人も知ってはいたが、語らなかった。その可能性もあるやに感じられる。
紀悄子に鶏を預けた王は、10日ほど経過した時点で仕上がり具合について下問する。すると紀悄子は、『まだ空威張りして闘争心があるからいけません』と答える。
更に10日ほど経過して再度王が下問すると『まだいけません。他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立ってしまいます』と答える。
更に10日経過したが、『目を怒らせて己の強さを誇示しているから話になりません』と答える。
さらに10日経過して王が下問すると『もう良いでしょう。他の闘鶏が鳴いても、全く相手にしません。まるで木鶏のように泰然自若としています。その徳の前に、かなう闘鶏はいないでしょう』と答えた。
上記の故事で荘子は道に則した人物の隠喩として木鶏を描いており、真人(道を体得した人物)は他者に惑わされること無く、鎮座しているだけで衆人の範となるとしている。
ちなみに、事実の推移は親父が言ったようではなく、双葉山は東の支度部屋に戻るなり『ああっクソ!』とうめいたそうである。「木鶏」は一晩寝てから出た言葉であるそうだ。どちらが本当の話しなのか知らないが、うちのカミさんは「こちらのほうが分かる」と言っている。
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