そうは言っても、大切な仕事を辞めるからには大義名分がなければならない、と。そうハッキリと意識したわけでもないが、大学で生きるからにはこの問題は解明したいというライフワークは当地に持って来た(つもりだった)。
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三点あったのだが、一つは最新の情報が追加されるごとに将来予測をどう合理的に変更すればいいかという問題だった。マクロ統計の速報は実は推計であって、不足するデータは予測した上で実績値の代わりに使う。それ故、時間が経つにともなってデータが追加され、公表値は改訂されることになる。その改訂幅を小さくするには、推計段階で誤差の少ない予測をしておく必要があるのだ。ところが言うは易く行うは難しいのが予測である。前月のデータが非常に大きなブレを示した時、まだ情報がない当月の予測で、どの程度大きなブレを織り込むべきか。それによって速報値は変わる。そんな問題だった。
ま、結果的にはARIMAモデルでやればいいわけであるし、状態空間モデルでやってもいい。しかし、当時は同時方程式モデル全盛の時代だった。外生変数も数多あるのに、簡単な一変量の予測で同時方程式を作るなど考えなかったのだ、な。
二つ目の問題は、特にGDP統計の中の消費系列で明瞭なのだが、マクロ統計とミクロ統計との乖離を説明することだった。言い換えると、ミクロ統計の未回答に関する問題。いわゆる "Misreporting" 、ないし "Underreporting" がいかにして発生するか。そのメカニズムを説明するモデリングである。発生モデルがあれば、たとえば耐久消費財支出が他に比べて小額の世帯が過小記入している確率を求めることができる。そんな問題意識だった。
幸いにして、この問題はDeaton-Irishが提案した方法を発展させて、うまくモデリングすることができた。何度かに分けて専門誌や国際学会にも出せたので、二番目の問題については目標を達成できたわけだ。
最後の三番目の問題は季節調整に関するものだった。すべての場合に問題はあるのだが、特にひどいのがGDP統計の内訳である設備投資だった。設備投資系列は、原則的には毎年実施される工業センサスが基本情報だった。最も正確であるというのが理由だったが、GDP速報は毎四半期に公表する。四半期ベースのGDPも出していたわけだ。しかし、GDPは暦年が基本である。それを四半期に分割し、その後で年度を計算する。だから、暦年の実績から四半期系列を導出する過程が非常に重要である。その四半期分割にはリン・チョウ法など普及した方法があった。ところが、方法は合理的なのだが、補助系列に使う四半期データと基準になる暦年データがあまりに異なった動きをしていると、四半期分割がうまく行かないのだな。
『暦年の工業センサスは上がっている。四半期の法人企業統計は下がっている。下がっているデータをみながら、どうやって上がっているデータを分けていけばいいんだろうネ・・・」。担当セクションの課長補佐がぼやいていたのをまだ記憶している。
無理に四半期分割すると、季節パターンが不自然になる。季節調整済みのGDP統計が時に変な動きをするのは、季節調整がうまくいっていない、というよりも四半期分割がうまくいっていないためだ。三番目の問題はこの点で上手い方法はないかというものだ。
これは難しかった。そもそも季節性を扱うには時間領域で攻めてもダメで、フーリエ変換して周波数領域も見ないといけない。季節調整を精緻化するだけではダメで、正確な暦年データを不正確な四半期データでどう分割するかも考えないといけない。
それで苦闘してきたのだが、考えているうちに「実質GDPの季調済前期比」は大体が0.1%(年率で0.4ないし0.5%程度)、せいぜいが0.5%(年率で2%程度)くらいになってしまった。そんな僅かな凸凹のピークがどうだ、ボトムがどうだ、もっといい方法を使わないといけないなどと言い募ってみても、所詮は下らない話しで、重箱の隅をつつくような議論である。そもそも誤差の範囲ではないかと指摘されればそこで終わってしまう問題でもある。
それより日本の成長力が低下した真の要因は何か。そんな問題について「大量の情報」から統計的にアプローチする。ずっと面白いではないか。そうも感じるようになったのだね。成長力の違いは先進国と新興国という切り口だけで説明されるものではないだろう。
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問題には賞味期限がある。社会の実態が変われば、昔には大きな問題であったのが、どうでもよくなることがある。癌の治療を進歩させることが大きな課題であった時代の次には、(同じ問題はまだなお存在してはいるが)長寿社会の中で大量に発生した独居高齢者と認知症がより大きな問題になった。
問題を解決するにはコストがかかる。問題解決からは社会的な利益が期待される。それ以上の利益が小さくなれば、それ以上のコストをかける意味が小さくなるのは当たり前だ。
それ故、小生が大学に持って来た三つの問題は、一つは解決済みであることを確認、一つは解明、一つは時間切れで自然消滅。どうやらそんな決算で終わりそうだ。
ただ新しい問題が出てきているのも事実だ。それは、やはり、ビッグデータに関係しているのだが、既に投稿した「ビジネス統計の新・七つ道具」。今後将来に最も有効なデータ分析ルーティンはどんなメニューで構成するとよいか。そんな問題である。まだ人によって、問題によって、複数の方法が重複しながらバラバラの状態なのだが、いずれQCのように体系化され、制度化され、ブラックボックス化されながらビジネスマンの標準ツールになっていくだろう。その頃には、どの企業の役員会資料でも定番のグラフとなり、誰でも図の見方がわかっている。そんな時代になっていくはずだ。
そんな時代とはどんな時代だろう。今の楽しみはそれだ。
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