2015年4月23日木曜日

「就活」の人間関係における非対称性

経済学や経営学を学んでいる人なら「情報の非対称性」という言葉を知らない人はいないだろう。

情報が非対称であると、たとえば中古車市場では(というか、人材紹介業でも金融市場でも医療市場でも)レモンの問題が発生する。組織管理で非対称性があれば、手抜きが蔓延する。

情報ばかりではない。此の世はいたる所に非対称な関係がある。就活市場も非対称であるし、面接当事者、つまり面接を受ける学生と面接をうける人事担当者の人間関係も非対称である。

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非対称であるのはフェアではないというなら、この世でフェアなのはせいぜいスポーツの試合くらいなものであろう。

ビジネスは大体が非対称でありフェアではない。というか、あらゆる企業は強者となって支配力をもちたいと願っているものだ。消費者は商品の詳細を全て知ってはいないものだ。支配力の行使があまりに目に余る場合は不当な行使ということになり、労働基準局や公正取引委員会の事案になる。言えるのはこれ位ではあるまいか。

就活では、学生もさることながら、面接をする担当者もまた「吃驚▲▲」、「不愉快○○」、「スマホ□□」、「傲慢◇◇」等々、多種多様な驚くべき生態が観察されているようだ。

学生が真剣に人生のハードルに立ち向かっているのだから、面接をする社員の方も同程度に真剣であってほしい。それがフェアである、と。おそらくそんな心理は広く共有されているのだろう。

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雑駁に割り切ってしまうと、こちらが真剣であっても、相手が真剣になってくれないというケースは山のようにある。というより、それが常態である。それ故に、問うべき質問は『これだけ自分が真剣であるのに、先方が真剣になってくれないのは何故か?』と、こうでなくてはなるまい。

問題があれば、それは発生するべき原因があって発生しているのであり、なすべきアクションは原因を確認して、解決が必要であれば解決することである。解決の必要がなければ、問題とされる現象はそれが合理的な現実なのだから容認して放置するべきである。

困ったことが全て「問題」であるとは限らない。利益を得たり、損失を被ったりするのは社会的メカニズムの重要な側面の一つだ。就活は「公正な評価」を行うべき場であると同時に、「ビジネス」を経験し、発生した問題があれば解決する、その最初の経験が就活である。そうも言えるのではないだろうか。

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