今日はその月参りの日であったので、様子を聞いてみると、本堂と住居部分をつなぐ廊下の部分が根太ごと腐っているということだ。
現住職で寺の8代目。創建以来150年が経つと言うから、出来たのは幕末の頃、単純に引き算をすると1868年になる。ちょうど明治維新の年になるか。古くなるはずである。
ずっと昔(宗教組織が人々を支配する権力であった「中世」をとおして)は寺や教会が村里ごとにあって、住民がカネを出し合って寺を守り、僧侶は何事かあれば堅固な寺院に住民をかくまって保護し、また寺子屋を開いて子供達に文字を教えるなど教育機能を担い、文化的行事を企画したりしていた。今の言葉でいえば、宗教的権威を有する人はその地域におけるメンターとして機能していたのであって、信仰と生活が<共生関係>にあったと見られる。
宗教を軸としたこの生活システムが国家を基礎とするシステムに変化する中で、住民が納めるカネも寄付(寺からみれば勧進)から租税へと移り変わっていったーとりあえず「領主」という存在は無視しておく。
なぜ宗教から国家へと変わったか?宗教から国家へ移り変わる中で、社会を支配するモチベーションは信仰から政治へシフトして来た。現代日本では、政府はいかなる宗教からも独立でなければならない。
いま関心を覚えている問題はこれである。何がこの社会的変化をもたらしたのだろう?
国家が必要になった理由は、小生今のところ、「戦争」ではないかと思っている。戦争をする必要があるので、それには宗教ではなく、国民国家を組織化する必要が出て来た。今のところ、そう思っている。
これは事実か?いま関心をもっている読書課題だ。
ただ全ての社会的変化の土台には生産技術があるという唯物史観にたてば、上の変化もまた宗教から国家という理念の変化ではなく、技術の進歩がもたらしたことになる。
その技術進歩とは軍事兵器の進歩ということか?用兵思想の進歩なのか?う〜ん、こうなると石原莞爾の『最終戦争論』の世界になってくる。
飛行機は無着陸で世界をクルグル廻る。しかも破壊兵器は最も新鋭なもの、例えば今日戦争になって次の朝、夜が明けて見ると敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊されている。その代り大阪も、東京も、北京も、上海も、廃墟になっておりましょう。すべてが吹き飛んでしまう……。それぐらいの破壊力のものであろうと思います。そうなると戦争は短期間に終る。それ精神総動員だ、総力戦だなどと騒いでいる間は最終戦争は来ない。そんななまぬるいのは持久戦争時代のことで、決戦戦争では問題にならない。この次の決戦戦争では降ると見て笠取るひまもなくやっつけてしまうのです。このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者であります。
(中略)
今までお話して来たことを総合的に考えますと、軍事的に見ましても、政治史の大勢から見ましても、また科学、産業の進歩から見ましても、信仰の上から見ましても、人類の前史は将に終ろうとしていることは確実であり、その年代は数十年後に切迫していると見なければならないと思うのであります。今は人類の歴史で空前絶後の重大な時期であります。(出所)青空文庫『最終戦争論』(石原莞爾)
軍人・石原の基本は軍事力を土台にした勝利の追求、つまり武断主義である。しかし、この発想は歴史的事実として破綻した(だけではなく、日本にとってフィージブルな選択ではなかった)。
ただしかし、一介の軍人が政治・軍事・信仰の関係について考えている筋道にしても、このような視線は現代世界における政治家にも求められている。これは確かなことだと思われるのだな。
今日の月参りでは、仏説阿弥陀経に加えて、法然上人の一枚起請文を読んでいた。
・・・念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学(がく)すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道(あまにゅうどう)の無智のともがらに同じうして、智者(ちしゃ)のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。ここには「無知の自覚」がある。「反・知識」の立場がある。ソクラテスの「無知の知」に通じるところを感じる。無知を知ることは、全ての哲学の出発点である。
学問全体の基礎である哲学の、その出発点が「無知を知ること」であるというのは、非常に示唆的である。
かたや「知は力なり」という。軍事力は知の結果である。知識が信仰の土台を掘り崩して来たのも事実である。知識の進歩は技術の進歩をもたらし、技術の進歩は軍事力を飛躍させ、武断主義を選ばせる。これは危機である。危機が喜ばしいはずはない。
古くて新しい問題だ。
この辺のことをもう一度読み直したい、と。そろそろ時間もできるだろうし、そう思っているところだ。
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