2018年2月16日金曜日

最近の出来事から連想して:「返納」という言葉をテーマに

「徒然なるままに」というのは何でも書いておく本ブログのメインテーマだ。

書いておくとすれば、まずは韓国・平昌冬季五輪か。今のところ、日本は"Silver Medal Collecter"を演じている。ドイツは(これまでもそうだったが)"Gold Medal"を集めている。これは「おかしいねえ」、というより「可笑しいねえ」というのは個人資格で出場しているロシア選手グループ"OAR(Olympic Athlete from Russia"と、開会直前に政治的理由から結成された「韓国・北朝鮮合同チーム」じゃな。

もし韓国と北朝鮮が合同するなら、韓国が獲得した金メダルも韓国と北朝鮮が合同で獲得したということになるのではないか?なぜ、この種目は合同とするが、別の種目は韓国の、北朝鮮のという扱いになるのか?

こんなことが出来るなら、この種目は日印合同で、この種目は日豪合同で、その他種目は別々で、ということも出来る理屈になるのではないか?

あまりにも裁量的、というより恣意的でござろう。納得致しかねる、というのはこの事だ。

ロシアを国家として出場禁止にするのはいいが、実際にはロシア人が出場しているではないか。これって「ロシア」だよね、と。カミさんも「そうだよねえ」とうなずいていたが、ロシア人ではあるが、ロシアではないというのは、屁理屈じゃあないか。

これも納得致しかねる。

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いま研究室を整理している最中だ。書籍類は、不要なものを廃棄、必要なものは少しずつ蟻が運ぶようにして宅に持ち帰った。次は、紙類である。これはワラケンさんの「セキュリティパック21」を利用して溶解処理する。最後は、備品類というか、「燃えないゴミ」。どうもこの辺の線引き、つまり「返納して廃棄処分するもの」と「返納せずに直ちに廃棄できるもの」の間の仕分けがよく分からず、困っているところだ。まあ、色々と聞いているうちにわかってくると思う。

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いまの日本社会で何が分からないかと言って、年金制度と入試センター試験制度(受験生側から見ても、監督側から見ても)のラビリンス的状態は、誰か某法務大臣が国会審議の場で「私の頭脳では理解困難であります」と答弁したことがあったと思うが、まさに理解を超越したレベルに至っている。

年金制度と課税制度が複合すると、さらに迷路的状態は高度なものになる。

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基礎年金は税によって一定年齢に達した全ての国民に同一金額を支給する。これを「国民皆年金」と呼ぶ。それ以外の報酬比例年金部分は、原則任意として民営化。自営業者は業界組合などを結成すればいつでも2階部分を設計できる。自営業者と被用者の公平は十分確保されるはずだ。年金支給額の差は自由選択の結果となる。税金が投入されるのは基礎年金の部分だけ。あとは積立金の運用成績で決まる。これのみが持続可能な最善の制度と個人的には確信している。

いつの時点でかリセット的改革が余儀なくされるかもしれない。

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リセットと言ったが、団塊の世代がさらに高齢化すると、財政需要は増す。

しかし、考えてみると、一般家計であっても老後は貯蓄を取り崩す、つまりマイナスの貯蓄を行う。マイナスの貯蓄とは資金不足になっているわけだ。

政府部門は(いうまでもなく)資金不足である。ということは、日本では民間企業部門が資金余剰になっている。

経常収支は黒字である。つまり、日本全体では資金余剰である。であるので、今の日本では企業の黒字を使って、政府の赤字をカバーしている。近い将来には高齢化する家計部門の赤字もまた企業部門の黒字で埋め合わされるだろう。

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日本全体が高齢化すれば、家計部門全体で資金不足になってもおかしくはない。家計部門が資金不足になっても日本全体の国際収支(経常収支であるが)が赤字化するとは限らないのだが、ひょっとすると(というより、おそらく)日本の経常収支は赤字化するかもしれない。

SNAの勘定体系において、資本調達勘定の実物部門で確かにISバランスは決まり、そのISバランスは金融部門の資金過不足に一致する。もし日本全体で資金不足になれば経常収支は赤字になる。しかし、経常収支の赤字を資本収支の黒字でカバーしているのが今のアメリカ経済である。生産活動している企業群が世界から信頼されていれば必ず資本は調達できる。資本調達できれば日本経済に心配はない。資金不足になれば、負債の増加か、資産の減少かで埋め合わす。これが基本的なロジックだ。

仮に資本調達できなくとも、売却できる海外資産があれば、これまた心配にはあたらない。高齢化による資金不足は一定期間を経た後では解消できるからだ。

高齢化による公債残高累増の処理は将来時点においては資本勘定をどう操作するかの問題であって、経常的な経済活動がどうなるかの問題ではない。

もし公債を償還して公債残高を減らすなら、政府部門の負債減少と政府あるいはその他部門の資産減少、もしくはその他部門の負債増加があるということだ。どんなことが起こるのか、今から具体的にわかるはずはないが、多分、以下のような道筋になるだろうというのは前にも投稿したことがある。

資産は、誰の資産であるか決まっているわけではないが、政府部門の債務と誰かの資産が両建てで相殺されることで、公債の相当部分は国内償却されるだろう。

その「誰かの資産」とは、その時点の納税者の資産ではなく、死去していくはずの団塊の世代、つまり財政赤字をもたらした世代が全体として保有していた資産になるのは、<ほぼほぼ確実な選択肢>であると小生は見ているわけである。具体的には相続税率を代表に資本課税が限りなく上がっていくという方向のことだ。資産分配の不平等度は所得分配の不平等をはるかに上回っているから、庶民にはこうした路線変更はほぼ無関係である。

税率・保険料率上昇の遅れによって団塊の世代が受け取った生涯収支黒字の部分は、自らの世代が世を去る時点において、国庫に<返納>し、それによって将来世代の公債償還負担を軽減(というよりほとんどゼロに)する ― もちろん政府債務減少に見合って、親世代が残した資産を相続できないという意味で家計部門の資産が減少する。そんな道筋をとっていくのだろうという予想は、前にも投稿したことがある、というのは上に述べた。

ただ自民党政権に必要な政策変更ができるかどうかは明らかではない。

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