こうなるなら、最初から本ブログでもラベルを付けておくのだったと、今さら反省してももう遅い。
もう一度、その三つの話題を書いておくと:
- 食べ物の話し
- カネ・財産の話し
- 親子、兄弟、夫婦の話し
この三つである。
外国人が目の前にいれば、『お国では何が一番好んで食されているんでしょう?』という質問はまず絶対に出したいところだ。『エッ! そりゃあ、うちの国ではご法度だ。お国ではどんな風に料理するんで?』、こんなやり取りほど面白い会話はない。
2番目の話題の中には、いわゆる「権力」や「相続関連」。もっと具体的にいえば、後継者争いが含まれる。アレクサンダー大王の死後、王国が幾つもに分裂したのには理由があった。会社が設立され、発展し、衰退し、身売りするまでには劇的な歴史がある。そこには興味の尽きない興亡がある。人間ドラマがあるはずだ。興味をそそられるのは何も現代日本のニトリや大塚家具だけではない。福田家や中曽根家、小泉家や安倍家だけではないのである。
3番目の話しは家族の話だ。この話題は、2番目の話題と重なる部分があることが多く、そうなると一層陰惨な物語りが生まれることになる。引き合いに出して悪いが、旧年の暮れ、東京は深川にある富岡八幡宮境内であった惨劇は当時の人々に大きな衝撃を与えた・・・何年経っても、こんな風な語り口であるだろう。この大事件の背景にあったのは、やはり後継者争いであり、親と子、姉と弟という一族同士の愛憎であった。
中東では一夫多妻制である。日本も明治以前はそうであった。古い慣行であるから、人々は不幸であるに違いない、とは決め付けられないだろう。いわゆる不倫は、一夫一婦制であろうが、一夫多妻制であろうが、発生しうるものである。
同じ子供であっても複数いれば均質ではない。父と二人の息子の関係は同じではない。一人の息子とは理解しあえるが、もう一人の息子とは会話ができない。こんな話をすると、あらゆる時代、あらゆる国の父親と時の経つのを忘れて話がはずむだろう。話の中にはシェークスピアの『リア王』や聖書の中の「カインとアベル」が登場するだろう。
時と空間を超えて人間なら誰しもが興味を持つ話題。ということは、この三つの話題は人間性の本質を構成しているということだ。
食って、愛して、いつか自分は死んでいき後継者に託す。人生はつまるところ同じだ。
人間の寿命が永遠になるという可能性はゼロである。いつか死ぬ。いつか死ぬのであれば、子をつくり、後世代に託すという行為が欠かせない。ライフサイクルが同じである限り、人間性はずっと将来も同じである。
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