戦前の帝国陸海軍は極端な試験重視主義、得点主義で知られていた。
海軍兵学校の入学試験は1科目終わるごとに得点が公表され、基準に達しない者から順に脱落していく仕組みだった。この話題は小生の亡くなった父の何よりの好みでもあって、『最初の科目は数学だったんだ、数学は出来不出来がハッキリ出るからな、1点でも足らないと駄目だ。明らかに失敗した連中は試験が終わった直後にもう諦めて帰っていったもんだ』などと夕食時によく痛快そうにワッハッハと呵々大笑しながら話していたものだ ― 海兵卒でもなかった父がなぜそれほど海軍の入試に関心を持っていたかは分からずじまいであったが。
陸軍の方の得点主義も相当なものであったそうで、陸軍大学の卒業席次は在学中の試験の得点で決まり、その得点は課題に対して本質を探るというより正解パターンにどれほど沿っているかで決まっていたそうだ。これまた父の好んだ話題であり『陸軍で上にいって参謀にでもなろうとすりゃあ、そりゃ目から鼻に抜けるような頭がないと駄目だったそうだ』と。
『目から鼻に抜ける』ような才能は、創造力や発想力ではなく、問題を見た瞬時のうちに速やかに正解に至る才能を指していたことは現代の日本人の感性にも通じるのではないかと思っている。
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東京医大の「不適切入試(それとも不正入試?)」を埋め合わせるための再判定で、再び不合格となった人たちに同情が集まる中、得点が足らなかったにもかかわらず、幸運にも入学を許可され在学している人たちへの反感(?)やらヤッカミ(?)もネットには書かれているとのこと。
不思議なのは、ただひたすら「得点」に執着する多くの人の感覚に対して、「得点だけで合否を決めちゃあいかんのじゃないですか?」という意見がさっぱり出てこないところだ。
敗戦への道をたどった戦前の軍国主義を批判する時には「軍内部の極端な得点主義」を問題視する人が、現在の医科大学には「あくまでも得点によって判定せよ」と主張する、もしそうなら矛盾しているではないか。
筆記試験の得点に過度にこだわるのは決して賢明ではない。いや、「賢明ではない」というより「選抜方式として実質的な効果がない」と言うともっと正確かもしれない。それは直感からも経験からも分かることだ。
大体、1日か2日程度の筆記試験などはそれほど安定的でロバストな評価方法ではない。よく言われるのは「もう一度試験を行えば、合格者の下半分は入れ替わる」というもので、これはほとんど経験則でもある。実際に複数回の試験を行って授業の成績評価をした経験のある人であれば、これはもう自明の事実である。
「合否は総合評価によって行う」という文言はあまりに漠然としていて、不親切であるが、8割程度の要点はこの文言の中に含まれている。
極端なことを言えば、100点満点中、90点以上の得点を得た受験生は即合格、それで募集定員の3割を確保する(もし不足があれば80点以上に広げる)。残り7割のうち5割は、70点以上の得点を得た受験者から ― ハードルが高すぎれば60点以上でもよい、要するに得点分布上のマス部分はすべて抽選対象とするという意味合いだ ― クジ引き抽選で選ぶ。特別の考慮事由をもつ受験者は合格のための最低基準点を設けこれを上回れば自動的に合格(ただし、特別枠は2割までとする)。こんな方式でも入学者の学力管理上、何も問題は起きないだろうと小生は確信する。
1点にこだわる性癖は、1円にこだわる金銭感覚にどこか通じるものがあり、几帳面さが窺えるものの、実質は不毛であると小生は感じている。
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