2月1日の朝、弟から電話があり、その声音から何かが起こったと予感したその矢先、亡くなったのだと電話の向こうから伝えてきた。
こんな場合、現実の世界は日常を脱して舞台であるかのように感じられるものである。来月末で丸三年か・・・。
この10年余弟たちがずっと暮らしてきた勿来に移る前、最初に何年か暮らした秦野市から気候の厳しい信州木曽の大桑村に強引に転職し引っ越したとき、さすがに心配になり、北海道からフェリーで新潟にわたりそこから金沢、飛騨高山を通り、妻籠、大桑村へと車で走ったことがある。その時に撮った写真が、弟家族一同が映っている写真としては、唯一小生の手元にある写真である。
ずっと年若であったので油断をしたのだろうか、義兄らしい話はほとんどしたことがない。信州に旅した時も弟達は仕事で宿に来るのが遅れあまりゆっくりと話すことができなかった。話すことがあまりないままに先立たれてしまった。
得てして浮世と言うのはこんな塩梅である。人生の味は相当塩味がきいているとは言うが、ききすぎであると思うことも多い。
妻籠にて 宿ともにせる はらからの
妻にてありし女 ぞなつかし
その弟宅の長男は音楽教師を志していたが、この秋、茨城県内の某高等学校の臨採講師に採用され、職業生活のスタートをきることになった。
僕の前に道はないまだ若い時分に高村光太郎がこの詩句を創ることができたのは小生にとっては奇跡に思える。
僕の後ろに道はできる
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