野党がなにを言っても、支持率が僅かな数字では無力である。
ということは、逆転の発想をして、メディアが何を言っても、何を語ってもよいはずである。言いたいことを言えばよい。もし言わないのであれば、それは言うつもりがない。そういう推察が出来る。
傍からみていても、マスメディアの本心について様々な仮説が思い浮かぶのが、北海道の電力問題だ。特に電力問題については、報道ぶりに<へっぴり腰>が目に余る。地元読者層の生活に直結するにもかかわらず、どこをみて報道をしているのかと不審に思う程だ。
先日の投稿では次のように述べた:
北海道新聞の現況判断は
冬の電力安定供給にめど 北電、火発再稼働で上積み見込む
という見出しに表れている。
データはどうなっている?ヤレヤレ・・・地元紙がこうだからネエ・・・
本当に大丈夫か?新聞社に命の責任はとれるのか?
いま朝ドラ『まんぷく』では、米軍による空襲(≒空襲被害?)が増えてきた昭和19年から20年にさしかかっている。街角には「欲しがりません、勝つまでは」、「進め一億、火の玉だ」のポスターがベタベタと貼られている。
国家的目標もよし、崇高な理念もよし、ただ原理主義者は常に非人間的である。
上でいう<へっぴり腰>というのは、政権ではなく、反原発派に対してであると、小生は仮説をたてているのだ。
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世間には<反原発派=正義>という受け止め方が通用している。<反原発派=公益代表>であり、<原発推進派=企業経営者代表>。こんな通念が世間では案外広く支持されている印象がある。
しかし、反原発が正しく、原発推進が誤りであるというのは、合理的検証を経て得られた結論ではない。そもそも福一事故の総括はまだなお不十分である。原発に限らず、火力発電、水力発電、再エネ発電それぞれのコスト・ベネフィットは広く十分な情報が共有されておらず、社会が望むエネルギー戦略については未決着のままになっている。
まして<脱原発>を進めていくとして、その先に予想される日本の経済・社会・生活・環境について、責任ある機関なり学界から信頼できるシミュレーション結果が公表されたとは、勉強不足かもしれないが、聞いたことがない。聞くのはスローガンであって国内政治やビジネスチャンスに関連する言葉ばかりである。
どこから見ても、日本のエネルギー戦略は大震災から7年たってもまだ未決着である。
未決着であるからと言って、とりあえず世間で声の大きい<原発=失敗>を仮の想定として電力問題を論じる態度は、商業ベースに立てば合理的ではあるが、メディア産業の果たすべき役割とは矛盾している。
単なる未決着なら合理的な解に時間はかかるだろうが収束するかもしれないが、偏ったノイズが選挙運動中の拡声機のように議論を壟断すれば、結論が非科学的になろう。メディアがその片棒をかつぐかもしれないし、片棒をかつぐ役回りとしてはメディアはいつだって最有力な候補である。
ズバリ書いておく:
原発再稼働で九州では太陽光発電買取抑制に追い込まれるような状況が十分予測でき、逆に電力供給状況にリスクがあった北海道でブラックアウトが発生することを予測するべきであったにもかかわらず、なぜ西日本の原発施設が先行して再稼働されたのか?
北海道の地元紙であれば、その背景を取材し、経緯を調査し、安全審査を含めた行政プロセス全般に瑕疵はなかったのか?それを検証をするべきである。
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本日午後のTV某局も
この厳冬期に万が一ブラックアウトが再び発生したとして、実はまだ何も変わってはいないんですよね・・・その通りだ。珍しく客観的事実をそのまま率直に言っているではないか。
内閣支持率の数字をさえ動かすことのできるマスメディアが、電力政策に何も影響力を発揮できないという情けない現状は、メディアは詰まるところ何もできないということの証拠かもしれない。最初に書いたように・・・。
しかし別の仮説化も考えられる。「いまの現状でよい」と地元マスメディア自身がそう考えている。だから踏み込んだことは言わない。こう推察しても観察事実と矛盾はない。
『正義を主張する党派は常に非人間的である』、上で引用した投稿ではそう述べている。見方は今なお変わらない。
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社会的問題が解決される在り方には二通りがある。
制御された議論と手続きによって解決策を先に実行するか。問題解決が遅れ限界を超えたところで超法規的に、手続きによらず状況に対処するか。いずれかである。言うまでもなく、状況に対処する過程で<正しい措置>が選ばれる保証はなく、その時の意思決定者、意思決定者に影響力をもつ人物達の構成によって、成否は分かれることになる。
高橋・北海道知事が来夏の参議院選挙に与党候補として出馬すると報道されたのは、ついにこの2、3日前の事である。
確かに北海道地域にエネルギー問題はリスクとしてそのまま潜在している。文字通り"vulnerable in terms of power"である。
9月6日のブラックアウトに至る北海道エネルギー政策の楽屋裏は今もまだ闇の中である。
上で触れたTVでは
私たちの方でもですネ、いざブラックアウトになったら、手回し発電機を用意しておくとか、そういったネ、一人一人が備えておく。そんな心の準備が求められていますネ・・・
こんなセリフが公共の電波にのって大真面目に放送されるとは・・・絶句する。ブラックアウトを「空襲」、手回し発電機を「竹槍」とリプレイスすれば、そのまま戦時中のラジオ放送に使えるであろう。
いま政策現場とそれを取り巻くマスメディアには退廃のムードが漂っているのではないか。
危ないネエ・・・
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