2018年12月9日日曜日

また余計な一言: 医大の「不正入試」について

文科省が全国の医大の入試について調査をしていたところ、新たに「不正」と目される例が数件確認されたというので、ニュースになっている。

読めば、「卒業生OBに特別な計らいを加えた」、「地域に残ってくれそうなので加点した」等々、小生の目線からすると「悪意って訳じゃないよネ」というものばかりだ。

違法な天下り幹部や収賄局長を続々と輩出しながら「この医大入試は不正であった」などと、文科省もよく言うわとも感じる。まあ、文科省が「不正」だと言明しているのではないかもしれないが・・・

それはさておき・・・

哲学者カントは『この世界で無条件で善なる存在は善意志をおいて他には考えられない』という意味のことを『道徳形而上学言論』の冒頭に書いている。

アングロサクソン流の功利主義とは真っ向から対立するドイツ流の観念論が明確に打ち出されている。

つまり、倫理的に最も価値ある行為は善を追及する意思自体にあるのであって、偶々そうなるかもしれない結果の良しあしではない、という哲学である。

医大の「入試不正」は、募集要項にあらかじめ合否に係る重要事項を記載していないという点で、受験者に対する情報提供が不十分であった。アンフェアである。マネジメントが不誠実であり良くなかった。その点では非難されるべきである。しかし、当該大学は悪なる行為を隠ぺいしたのだろうか。その動機をみると、報道されている限りは「特に問題ではない」と、小生はそう感じる。

地域にとどまってほしいという念願は地域の大学ならば当たり前のことである。卒業生OBの子弟だから優遇したい。私立大学ならば、OB達の協力があって大学の存続が可能になっている面もあるので、これまた小生は共感できるのだ ― 共感できない人たちの多くは、おそらく当該大学とは無関係ではあるまいか。もしそうなら無関心であればよいのであって敵意を持つべき理由はない。関係者で、なおかつ卒業生OBの優遇に反感を持つのであれば、その理由を色々なところで語ってほしいと願う。それこそ大学を良くすることにつながるだろう。

最近において「コンプライアンス」という用語が乱用されているが、この考え方は(ともすれば)結果が法規に合致していれば、動機や意志が何であっても構わない。形式が合法であればそれでよい。合法で結果が出ていればそれでよい。答えが合っていればそれでよい。こんな発想にも繋がっていきかねないので、小生は本当のところ、この言葉は嫌いである。

本当にあってほしいのは、親切であって、偽善ではない。

0 件のコメント: