2019年5月31日金曜日

「人口政策」は意義のある、必要な政策だと思うのだが

桜田前五輪相が失言をしたというので非難されている。

「結婚しなくていいという女の人が増えている」あるいは「お子さん、お孫さんには子どもを最低3人くらい産むようにお願いしてもらいたい」

ネットの報道を読むと、大略、こんな発言をしたという。「発言」とはいえ、不特定多数の聴衆を相手に自分の政策を語ったというより、自民党議員が集まるパーティでそんな話をしたそうであり、まあ仲間内である程度の最大公約数的な見方を面白い言葉にしたという一面ががあるのかもしれない。

とはいえ、相当の反感を世間ではかったらしく、また再びバッシングのターゲットになった感がある。

「ターゲット」になりやすいという点では「日本のトランプ」と言えないこともないが、愛嬌はこちらの方がマシかもしれない。

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非難する人の大半は『子供を産む、産まないはその人の自由である』という意見を述べている。

確かに道理だ。

思うのだが、国が実施する政策に「経済政策」があるということに反対する人はあまりいないのではないかと思う。この中には、財政政策、金融政策、貿易政策、産業政策等々、日本人の生活に大きな影響を与える政策が網羅されている。

国防政策も重要であるし、治安・防犯対策も政策の一分野である。他にも、社会保障政策、福祉政策、教育政策、環境政策、etc.…国の未来を見通すうえでどれも疎かにはできない。

同じ意味合いで、「人口政策」もある。"Demographic Policy"である。中国で推進されてきた「一人っ子政策」は日本人にも有名である。が、少子化の進行に悩んだフランスの人口政策も聞いたことのある人は多いはずだ。同様の政策は北欧諸国も進めてきた(この資料を参照)。出生率が低下した国では必要な人口政策が実施されてきた一方、英米では特段の政策を採っていないが、それは出生率が十分に高いからであると推察できる。そして、日本は既に相当な少子高齢化の状態にあり、出生率もかなり低いのが現実だ。

実際、リンクを張った資料をみると、日本は現物給付率は(確かに平均以下ではあろうが)それほど格段に低いわけではないが、現物給付率では説明できない「その他要因」によって出生率が非常に低くなっている。現物給付状況(並びに現物給付と相関関係にある諸々の要因)とは無相関の「その他要因」で出生率が低い。では、ここでいう「その他要因」とは具体的に何なのか。

現代の日本社会には人口政策を考えるうえで確かに解くべき問題があるわけだ。人口政策に関連する政策分野として移民政策があるが、それと並行して日本の国情に適した人口政策を推進するとしても決して不適切ではない。

桜田前五輪相は自民党の議員であるから、こんな問題意識が頭の片隅にあるとしても不思議ではない。色々な課題の中で「国勢≒人口」のトレンドが非常に気にかかっていたとしても、それは心情としては自然である。そんな風にも小生は感じるのだ、な。ま、使った言葉は「政策」というにはほど遠く、激励というにも言葉遣いが乱暴で、場末の冗句といったレベルではあるが……。

いずれにしても、擁護するとか、共感するとか、反発するとか、そういう次元の詰まらない感情論にしてはならない話題ではある、と。そう思うのだ。

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「子供を産む、産まないを政治家が云々するのは余計な話ヨ」という反発は、感情としては理解できるが、この論理を突き詰めると最後には「人口が減ろうが増えようが、それは自由な選択をした結果なんだから、どうなっても諦めなさい」という理屈になり、「政府が人口政策を決めるなど不必要、すべて認められない」という結論になるのではないか?

ヨーロッパで実行できた政策を日本はしてはいけないのか。人口増加策を検討することは重要ではないのか。たとえば3人以上の子供を育てた両親を表彰することは女性の間に差別を持ち込むことになるのか。もしそうなら、なぜそうなのか小生には理由が思い浮かばない。

人口政策に裏打ちされない社会保障政策は、核燃料サイクルの裏打ちなき原子力発電とどこか似ている。とすれば、終末処理が担保されない原発を否定する人は、人口政策の裏打ちなき社会保障政策を否定しなければならないというロジックになるのではないか。

生きやすい社会を目指しながら、いまよりはもっと多くの子供を育ててほしいという政治家の発言に反発する理屈も(もしこれが理屈になっているなら)奇妙な理屈である。


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