2019年5月4日土曜日

「皇位継承問題」の再論と今後の予測

令和がスタートした直後から唐突に出てきた「皇位継承問題」。人によっては、21世紀の「壬申の乱」が起きるかなどと心配しているらしい。

古代の日本と同タイプの乱などは絶対に起きませんよ…とだけは言える。いまや皇族方にとっても「天皇」の地位は負担ばかりが大きく、自由もカネも発言権もなく、ついてみたい地位だとは到底思えない。もちろん下々の人間の感覚によればだが…。なので、皇位継承争いなどは発生しようがない。争うのは意見や観方を異にした国民の側である。

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ほんの一言メモ:

女性天皇、女系天皇を議論するのは不毛である。不毛であるばかりではなく、「男系」で継承したり、「女系」で継承したり、その時々の都合で変えるのは文字通りの「その場しのぎ」であり、問題を拡大再生産するだけだろう。

ふと気がつけば、『いまの天皇さんは昔の皇室とはまったく縁のない別の一族になってしまいましたね』などという事態も起きかねないので、よほど慎重にシステムをつくる必要がある。

ロジカルに考えれば、今後の議論の核心になってくるのは「皇族」、「皇籍」、「皇統」のそれぞれの概念をきめ細かく具体的に定義することだろう。

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現在は「皇族=皇籍」であり(不勉強なもので、多分としておく)、皇籍のある皇族には国庫から「皇族にふさわしい生活」が予算措置される。しかし、皇統を把握し、管理するシステムはない。戦後、責任をとる形で皇籍を離脱した旧宮家も天皇家のDNAを継承しているにもかかわらず、国は何もしないまま放置している。放置しておきながら、「いざとなれば皇族に復帰してもらう」などと言い、NHKもまた書面でアンケートを行うなどの行為をする。実に不誠実であると思うのだ、な。不誠実というよりも、無礼であり、不敬である。

「男系」、「女系」を問わず、天皇家の血筋に該当する人々を「皇統」と定義して6代くらいまで遡及すれば、100人程度は把握できるだろう。その昔も親等が離れれば「源」や「平」の姓を与えられて一般人(それでも貴族ではあったが)となった。

最も重要な業務は、「皇統」にある人々を正確に把握しておくことである。

公的地位である「皇族」には国家予算が伴い、かつ公務の必要量も一定の範囲内だろうから、一定の人数以内に管理せざるを得ない。が、それとは別に「皇統」にある人々の中から一定の人数に「皇籍」を付与するとすれば、多くの人数を少額で支えることができるはずだ。現代社会では「門跡」などのポストは与えられないだろうが、「恥ずかしくはない生活」を送るための支援金は支給する理由があり、天皇制を継承したいなら支給するべきだろう。

公務を担う皇族が不足すれば皇籍を有している人々から順位に従い宮家を創設するか、継承するかを要請すればよい。そうすれば公務を担える皇族はほぼ常に一定人数いるはずである。

この筋道で議論すれば、明治以降の「永世皇族制」と「内親王が結婚する際の皇籍離脱の制」も表裏の関係にあるので、再検討されるだろう。

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現在の「皇位継承問題」は解決が極めて難しい難問のように、一見すれば思われる。しかし、ロジカルに考えれば、原理的に難問であるはずはないのであって、難問であると思われるのは、反天皇制思想や世間の嫉視、阿諛追従、マスコミの興味本位の取材などが絡み、政治的な決定が難しいからである。加えて、そもそも古代から続く天皇制と民主主義的な戦後憲法とは当然ながら相性が悪く、何を提案するにしても批判されがちである。要するに、政治家のやる気と能力の問題であろうし、憲法の中に天皇制の伝統を矛盾なく定めておきたいという国民の側の熱意、というか知的成熟が足りていないという点もあるのだとみている。

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側室制度が許容されない限り、女性天皇、女系天皇を認めざるを得ないと言われるが、それはいいかげんで「為にする議論」の好例である。

徳川幕府では無制限に側室が認められていたが、4代家綱から綱吉にかけて直系から傍系に移り、7代家継でついに宗家が絶えて、紀州藩から8代吉宗が継承した。10代家治の次も傍系・家斉が継いだ。そして14代家茂で再び宗家が絶えてしまい、他人同然の水戸家に生まれた慶喜が継ぎ、幕府は実質的に終焉した。それでも徳川一門で継承すること自体は可能だった。

側室制度と継承の安定性はまったく別のことである。

安定した継承には、それとは別のシステムが必要である。

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冷静に考えれば合理的な議論の筋道は簡単にわかる。あとは、論点を整理して、決めるべき事を政治家が決めれば、そもそも現在の皇族の不足、皇位継承問題は難問では決してない。


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