一言メモ:
亡くなった師匠を偲ぶ会に集まるのは成功した弟子たちである。落伍した愚かな弟子、破門された弟子は、おそらく招待もされず、来ることもなかっただろう。芥川龍之介の『枯野抄』で描かれている芭蕉の弟子達が師に寄せる奥深い心の襞はおそらく芭蕉にも見えていたに違いない。とはいえ、つまるところ師匠と弟子は年齢が違い、生きる世界が違い、求めるものも違う。先生にとって弟子の心の中はどうでもよいことである。
師匠の葬儀に姿を見せなかった元・弟子たちも彼ら自身の人生を生きている。成功した弟子達ばかりではなく、道を外れた元・弟子達にも目線を向けるくらいのことは日本の放送局もやってよいのではないか、と。大手芸能事務所の子会社ではないのだから。そんな風に感じました。
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