2019年9月14日土曜日

メディア報道も世論も特有のバランスの悪さがある

児童虐待に対して日本ではあまりにも刑罰が軽きに過ぎるという指摘がママある。

高齢者ドライバーの運転ミスに対する処罰が甘すぎるとテレビ電波に乗せて語る人もいる。いわゆる「あおり運転」に対する非難もそうだ。

一昔もたっていない2,3年前には、暴言、侮辱といったパワハラに対して厳罰を求める声が世間で沸騰したものである。

これらを思うと、つくづく『世間の怒りというのは、ホント、一過性で冷めやすいものだネエ』と改めて感じることしきりなのだ。

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「児童虐待を厳罰に」というが、「児童」を虐待した時には「厳罰」という意見なのか?だとすると、小生はまったく理解できない。

家庭内で介護されている老人や共稼ぎをしていて疲れ果てている配偶者に対して、暴行をしたり、物を投げつけたりするのも、同じように「家庭内虐待行為」であると小生は確信する。児童を虐待する者を厳罰に処するなら、その他すべての虐待行為も同列に厳しく処罰するのが本筋であろう。

ハラスメント騒動のときもそうだった。パワハラ、セクハラをとりあげて非難をする。しかし、そうではない一切の「その他ハラスメント行為」はニュースにもならない。

マスメディアは常にアンバランスだ。そのためかどうか分からないが、世間の噂もほとんど常にバランスがとれていない。

ハラスメントについては随分前に投稿している。虐待行為についても同じ意味で投稿をするべきなのだろう。しかし、「虐待行為」は既に「暴行障害行為」として法では定義されている。

故に、暴行障害行為は現行法制で必然的に処罰される。それを厳罰化するなら、刑罰のバランス上、全ての刑罰を厳罰化するロジックになるのではないか?

世間の激昂ぶりをそのまま延長していくと最後には「躾」と称して自分の子供を暴行して死に至らしめた親は死罪に処するべきだという意見も語られてしまうのではないか。そんな世の中になれば、(通常の?)計画的な殺人行為は江戸時代のように、「市中引き回しのうえナントカ、カントカ」に処すべしという過激な意見すら出てくるのではないか。小生はどちらも完全な間違いであると思うし、文明開化とは正反対の文明退化であると思う。これをもたらすのが「衆愚」であるのは言うまでもない。「衆愚」、即ち民主主義の最大のウィークポイントである。

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これから色々な側面で憲法改正論議が進むのだろうが、小生が最も懸念しているのは「国防軍」の復活でもないし、「徴兵制」の復活でもない ― 実際、兵役の義務も帝国陸海軍もあった明治~大正時代、日本は国際法に忠実な国家であり、政府は国際協調を重視していた。

憲法第36条が緩和されることを最も怖れる。

 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

日本社会のバランスを崩すような主体があるとすれば、それはやはり戦前期と同じく、新聞・放送局・出版社といったマスメディアの行動振りなのだろう。現代社会ではSNSも含まれるのだろうか。

要注意だと思う。

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