2019年9月23日月曜日

一言メモ: 隣国でありながら発想は本質的に異なる

日韓関係に改善の兆しは見えない。

最近、こんなこともあるのかと気がついた点:

韓国、というか韓国人全般に共通している傾向かもしれないが、問題解決の方針を考察する時、『何が正しいか』という大前提から思考を進めるような印象を小生は持っている。

日本人、といっても全員に当てはまる訳では勿論ないのだが、「これが本筋でオーソドックスな理論です」という説明をすると、常に『ピンときません。他の考え方では駄目なのはなぜですか?』と反発する人が多い、とにかく上から目線で解説している人には往々にして反抗的である。疑いをもつ人物が多い。小生の職業的偏見かもしれないが……(^^;;)。日本人は大なり小なり経験主義者である。

日本的懐疑が極端になると、<正しい原理>がそもそもなくなってしまい、常に<現実>を前提として何をすればよいかを決定する、つまりは<風を読む>姿勢に至る。

韓国的信念には善いところが多々あることを日本人としては理解しておきたいものだ。

とはいえ、現実から遊離した理念論には日本人は<ついていけない>と思うことが多い。こんな経験は、同じ日本人同士でも人様々で性格が違う以上、頻繁にあることだ。そもそも誰かにとって正しく自明である大前提はアプリオリな理念であることが多く他者が共有できないことが多い。集団で共有しにくい。他方、現実を優先して「背に腹はかえられない」方式で結論を出していると、認識は全員で共有できるものの、上に述べたように欲の赴くままの機会主義になりがちだ。

こういう違いが国民単位であるのだとすれば、問題解決に向けた議論がすれ違いに終わることがママ起きるに違いない。

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