その「安倍一強」という形容句が、発生源であったはずの外側からみて誉め言葉であったのか、貶し言葉であったのか、やっかみや妬みか、はたまた或いはからかったり冷やかしたりするための揶揄言葉であったのか、実は小生にはまったく分かっていない。
ただ、新コロナ型ウイルス蔓延という現況の中で、まさに今は定着した「安倍一強」という政治スタイルがそのまま負の側面となって首相の足を引っ張り始めている気配である。権力の盛衰史としては史上に頻出する、その意味では非常に分かりやすいパターンである。もともと日本では強力な法的権限を体現する官職ではないという剥き出しの事実が露呈しているとも言える。「一強」とは言っても、憲法や直接選挙で武装したハードな統治システムではなくて、あくまで人間関係に基づくソフトなリーダーシップであったのだ。なので、日本では「●●一強」が消失するときは破壊や闘争を伴うことなく一瞬にして消え去ることが多い。
小生が子供の頃から知っている総理大臣は、(といっても遠くから見聞きするだけのことであったが)、どの人物も現首相のような政治スタイルではなかった。「一強」でもなかった。
国内行政はトップセールスでは動かない分野だ。司令長官が直接命令できる海軍スタイルではなく、泥臭い陸軍スタイルの実務が要求される。伝染病対策においても、総力戦を遂行するには、それが出来るシステム構築から始めて資源を動員し汗をかかなければパワーが不足し結果を出せない。
相撲のスタイルにも「四つ相撲」、「押し相撲」の別があるように、トップの政治スタイルにも取り組むべき政治課題との相性があるのかもしれない。
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史上空前の「イザナギ景気」を演出した佐藤栄作元首相は超長期政権を築いたが、1972年6月に退陣を表明する前の政権末期は、津波のような大混乱に襲われていた。前年71年8月の「ニクソンショック」。国際通貨システムの調整で1ドル=360円時代は終わり円ドルレートの大幅切り上げをのまざるを得なかった。高度成長は終焉を迎え、国内経済は不況入りした。翌年72年2月には日本の頭越しに「米中国交回復」が現実となり仰天した。国内経済は円高不況に沈み、72年5月に沖縄が米国施政下から本土に復帰し「沖縄県」となる中、世相は"anybody but Sato"、「佐藤以外なら誰でもいい」という雰囲気に変わっていった。
何事にも始まりと終わりがあるのは仕方がない。
一寸先は闇である。株式投資では買うよりは売る方が難しい。仕事は始めるよりは止める方が難しい。
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