その役所の月間広報誌の編集をしていたのだが、上司がよく口にしていた言葉は
総理がこの役所を解体しようと思えば、こんな役所はすぐなくなるヨ何度も耳にしたが、小生は、まったく現実感を感じることなく、上司のその言葉をただ聞き流していた。多少の不愉快な感情をもちながら、「役所は国家行政組織法(と設置法、いずれも当時のこと)で定められているじゃないですか」と反論した。
かと思うと、小生の1年後輩で同じセクションで仕事をしていた人物がいた。
この役所の仕事は、何か「実業」というより「虚業」という感じなんですヨネとよく言っていた。そう感じていたのだろうが、器が小さい小生はその感覚を共有できなかった。定期的に報告する作業結果が新聞の1面を賑わせることもあったのに、自分の仕事に自信すら持てないのかと、どこか軽侮する感覚をその後輩にもったものだった。
その頃の小生は、若く未熟で、日本国のことを「弊国」(ヘイコク)と自称する先輩の心意気をむしろ好ましくも感じていたのだ、な。
ま、そんな組織は日本の他の場所にはもう残存してはいなかったろう。
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小生の感覚が文字通りに「コペルニクス的転回」をしたのは、ある個性の強い議員が大臣になって、組織全体がその大臣に振り回されてしまったときである。
"Civil Servant"(=公僕)であったはずが、実は"Minister's Servant”(=大臣の使用人)であるに過ぎなかった現実が露呈したわけである。
君たちが実証的分析の結果だと称する結果も、その結果に基づく提案も、国民が認めなければ意味がないのだ。実行など不可能だ。それが民主主義なんだヨ。このブログで何度か引用している言葉はこの時のことだ。
会社の役に立ちたいと願っていたのが、実は特定の▲▲長の個人的利益に奉仕するために仕事をしてきたと感じるときに、素朴な20代の志は雲散霧消するのかもしれない。それが成熟というものかもしれない。そこから本物の人生が始まるのかもしれない。
小生は未熟だった。
概念や理念は現実には存在せず、存在するのは具体的な人間と人間関係、それとカネとモノであるという剥き出しの真理を知らないまま生きてきていた。甘かったネエ、ホントに・・・。
そんな時に、大学のある先輩と再会して、研究者としての生き様を視るようになった。方向転換をしたいと思うようになったのは、それからである。
北海道のこの町に移住してきて何年かたった頃、国際関係論を専門にしている旧友に
イギリスに習って、中央省庁は、その時の政治課題にあうように勅令で自由に改廃統合できるようにするのがいいんじゃないか・・・あ、勅令は日本では無理だから、政令になるか・・・などと、そんな風な話をするようになっていたから、人間の考え方というのは変わるものである。変わった分、「そんなこと、言わない方がいいよ」とか、「世間では通らないヨ」とカミさんから注意されるようになった。
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人は人を騙し、また利用し、利用して捨てる。が、学問は人を捨てない。人が学問を捨てるのである。そんなことを言う人が多い。
研究にもカネが要るのでそれほどこの世界も単純ではない。が、それでもなお、学問は人を裏切らないという事実は今でも、というか永年やってきた今だからこそ、間違ってはいなかったと断言できる。
この数日、「リラ冷え」だと言われるのに毎朝、鶯が近くに来て囀っている。ずいぶん上手になった。八重桜が満開でライラックもいまが盛りだ。肌寒いが海の色はもう暖かい。幸福以上の目的を追求すれば、幸福は得られないという単純な理屈が目の前にある。
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