2020年6月11日木曜日

「共有するべき価値」なんてものがあるんでしょうかネエ・・・

小生は10代の頃から「お喋り」は苦手だった。教室には何人かのグループが自然形成され、授業の合間には「お喋り」の花が咲くのだが、そんなグループに自然に入っていくのに気おくれがして、自分の席で、あるいは図書室で好きな本や画集のページをめくっていたものだ。多分、大勢の中で小生は一風も二風も変な奴として分類されていたのだろうと思う。

それでも「仕事」を始めてから送ってきた毎日に比べれば、自分の生きたいように毎日を過ごすという点で、確かに満ち足りていたのだろうと言うべきだろう。「言うべきだろう」と書いたが、それは決してその頃「幸福」でもなかったからだ。

生きたいように生きるとしても、それで幸福になれるわけではない。

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どこかで読んだ記憶があるが、どの本であったかが思い出せない、そんなもどかしいことはママあるものだ。それが昨晩、一つ氷解した。

1789年より前の生活を知らない者は、生きるとはどんなことかを知らない者だと、タレーランが言ったと伝えられているが、《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》というこの黄金の20分間は、18世紀文化の全ての美しさを代表している・・・

出所: ロビンズ・ランドン『モーツアルト』(中公新書)、48ページ

「1789年より前」とは、要するにフランス革命より前の時代ということだ。タレーランは、ナポレオン時代を生き抜いた稀代の外交官で、ナポレオン没落後に開催されたウィーン会議では諸国の対立関係を巧みに利用し、立ち回って、実質的敗戦国であるフランスの損失を極力最小化することに成功した人物である。

ベートーベンは、1815年のウィーン会議のあとで急変したウィーンに対して、いつもひどく不平を漏らしていた。

出所: 上と同じ、96ページ

ウィーン会議のあととは、フランス革命後、ナポレオン戦争後ということである。つまり農地の上がりで生活する地方の名家が没落し、新興財界人が入れ替わりに台頭してきた時代である。市民社会とはどんな世の中か、その全体が見えてきた時代である。家柄の上下より事業で成功したか失敗したかによって人物評価が決まる社会、そうあるべきだという価値観になったわけだ。要するに、市民社会ではみな平等で自由であり、努力によって世間における地位が決まる。そんな市民社会の価値観は、根っこの部分で水脈を同じくしながら現代社会にも流れ込み、いまも継承されている。

どうやらベートーベンは貴族(≒地主兼政治家)は嫌いだと言っていた割には、自分の音楽を理解し、愛し、経済的に後援した人たちがどんな人たちであったか、よく分かっていなかったのかもしれない。競争圧力にさらされる市民は、本業の事業で成功することが夢だ。音楽や芸術は深遠である必要はない。宮廷ではなく店で活動するので自らが芸術を表現する必要はない。市民社会ではみな《忙しい》のだ。聴きたいときにコンサートに行ければそれでよいわけだ。

歌は世につれ、世は歌につれ、である。

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これに似た感想は、永井荷風も『深川の唄』の中で記している:

その昔、芝居茶屋の混雑、お浚いの座敷の緋毛氈、祭礼の万灯花笠に酔ったその眼は永久に光を失ったばかりに、却って浅ましい電車や薄っぺらな西洋づくりを打ち仰ぐ不幸を知らない。よし知ったにしても、こういう江戸っ子は吾等近代の人の如く、熱烈な嫌悪憤怒を感じまい。我ながら解せられぬ煩悶に苦しむような執着をもっていまい。江戸の人は早く諦めをつけてしまう。すぐと自分を冷笑する特徴をそなえているから。

出所: 永井荷風全集第4巻『深川の唄』、137~8頁

荷風が生きた時代には既に珍しくなっていた歌沢節の節回しが思いがけずも墨東・深川のとある街頭で偶々耳に入ったときのことである。

「浅ましい電車」を「浅ましいスマホ」、「薄っぺらな西洋づくり」を「薄っぺらなマスコミやネット」と言い換えれば、現代日本社会にも当てはまりそうである。

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今日の安倍内閣、というより日本国の基本的外交方針というのは「価値観外交」というのだそうだ。

日本国が支持する「共有するべき価値観」というのは、「自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済」という項目であるらしい。これらの《普遍的価値》を共有できる諸国と日本は利益をともにする。これが基本戦略になっているという。

それにしても、御大の安倍首相自らが憲法を改正するべきだと何度も何度も口にしてますぜ。よっぽど御執着なんでござんしょう。改正するべきだってエことは、今はダメだということでしょう。今の憲法がダメだっておっしゃる御仁が、憲法より下の法律を大事に思って、尊重して、法の支配を守り抜くなんてことがありますかねえ・・・その辺の法律よりゃあ自分が上だってくらいに想ってるんじゃあござんせんか。

今朝もそんな話をカミさんとしたところだ。

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大体、民主主義やら、法の支配やら、市場経済やら、もしもこんな社会のありようから、人々の幸福や一人一人の人生の充実が約束されるなら、フランス革命前の「アンシャン・レジーム」の下では、フランス国民は圧政に苦しんでいたという理屈だ。

ところが、当時生きていた人のリアルタイムの感想は、必ずしもそうではなかったようなのだ、な。

そういえば、亡くなった小生の祖父母も、時々太平洋戦争前の平和な時代の落ち着いた気楽さや楽しさを懐かしんでいたものだ。

『すべて人がよいというものは疑うことから始めよう』、『疑うことが出来ないほど明らかに真である出発点に戻り、確実な論理を踏んで一歩一歩結論を得ていこう』。デカルトの精神が今ほど必要な時代はなかったかもしれない。小生は統計でメシを食ってきたせいか、経験に基づく(≒データ重視の)帰納主義に共感することが多いが、一度証明されれば永遠に真理であり続けるのは、公理から演繹的に導かれる数学的な命題である。これまた忘れてはならない点だろう。

証明されない命題は、全て暫定的で、仮説的な限界の下に置かれる。これまた否定できないはずだ。

・・・

それにしても日本人は、いつの間にこんなに「おしゃべり」になってしまったのだろう、と思いつつ又々「おしゃべり」を書いてしまった。そう思う今日この頃である。



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