2020年9月15日火曜日

断想: 「表現の自由」は「嘘をつく自由」とは違うはずだが

前に投稿したことを補足しておきたい。 

小説に書かれていることはフィクションだから嘘のストーリーである。TV番組も放送内容がフィクションである場合には、その旨を周知してもらうメッセージを流している。

ウソだと分かっていれば、ウソを信じることはしない。

だから、誰でも嘘をつく自由は持っているし、ウソをつく権利ももっていることは確かだ。しかし、真実を語っているように見せてウソをつく行為まで表現の自由に含めてしまえば、そもそも詐欺罪が成立する理屈はない。エンターテインメントならいざ知らず、コミュニケーションにおいてウソをつけば、原理的には犯罪である。それを「表現の自由」というのは「開き直り」というものだろう。韓国流にいえば『盗人猛々しく・・・云々』が当てはまる状況かもしれない。

他人のウソが発端になり、そのため何がしかの迷惑、損失を被れば、被害者は怒りを覚え、報復的な行為に出る(かもしれない)。「言葉」に対して「行動」で応じる。報復された側が「表現の自由を冒す行為だ」と主張するとしても、これは社会現象を生起させているメカニズム、つまり「因果関係」として理解するべき事象である。法律で是非を論じて解明される事象ではない。

そもそも立法によって解決できるなら、あらゆる犯罪は法律で禁止されているので犯罪は起こるはずがない。平和の維持を条約で明記すれば戦争は起きるはずがない。しかし、現実はあらゆる立法的問題解決法が挫折してきた歴史ばかりである。

いかに表現の自由を保障していても、使われる言葉に憤激する人が現実に存在すれば、その言葉に対して報復的行動がなされる事態は抑えられない。法ではなく、因果関係が社会では支配的である。

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