某女流ヴァイオリニストSさんのコンサートが隣町S市であるので予約したのが3月である。ところが、コロナ禍で8月に延期された。その延期もコロナ感染者数の増加で開催困難となり、9月まで再延期された。小生は最初の延期ではキャンセルをせずチケットをそのまま持ち続けたのだが、二度目の延期でキャンセル・払い戻しをしてもらうことにした。非常に残念だった。
大ホールでヴァイオリン・ソロ演奏である。おそらく聴衆もマバラで空席の方が多いのではないか。そんな状況でわざわざ遠距離をやってきて演奏するヴァイオリニストその人も非常に気の毒に感じる。
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最近、改めて驚いているのがYoutube Musicで再生する時の音質の素晴らしさだ。一定以上のヘッドホンで聴くと、ずっと昔のコンポーネント・オーディオなどとは比較にならないほどに粒だった良質の音が耳に入ってくる。しかも、月額1千円程度で何曲も聴き放題である。CMも入らず連続で何時間でも聴いていられる。それも多くはライブ動画付きだ。
思い出したのが、最近、NHKが発表した「空間共有コンテンツ視聴システム」である(発表資料)。
背景に今話題の5Gがあるのだと思うが、5Gを支える基盤となる光ケーブルの次世代化が鍵である(たとえばこれ)。遠からず実現できそうな状況として、自宅に居ながらのVR(仮想現実)でコンサートを視聴したり、コンサートホールに足は運ぶがそこで視聴するのはAVR(拡張仮想現実)による共通演奏空間であったり、そんな「配信技術」が当たり前になってくるのではないだろうか。
演奏家本人が足を運ばずとも、データ通信で高品質の音と立体動画データを伝送できるなら、同時に何百人どころか何100万人もの聴衆にグローバル規模で音楽を届けることが可能になる。モーツアルトの時代、モールアルト本人が居住していたザルツブルグの限られた範囲の人々のみが聴くことの出来た多くの楽曲を、今では世界中の人がネットから配信されて鑑賞することができる。「聴く」だけではなく「コンサートに行く」という経験も同程度に安く、手軽に選べる社会になれば、生活はずっと豊かになるだろう。その頃には、多分、1回の視聴料が、現在の例えばS席3万円から一律300円程度になるのではないだろうか。ちょうどそれは、小生が若かった頃のLP1枚3千円という価格が、今では聞き放題で月額千円になったのと同じことだ。
そうなれば、感染症の蔓延や自然災害、戦争や内乱で音楽どころではないとか、正月の歌舞伎興行などとんでもないとか、そんな心配は一切ご無用になるだろう。心を慰める活動が最も必要とされる国の人々に慰めを届けることも出来るようになる — 暴虐な政府がネット通信を遮断しない限りは。
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まだまだ世界を良くする余地は無限にあるということだ。
反面、リアルの演奏、リアルの演技は、希少性が高まるので、チケット代は現在の100倍にまで上がって文字通りのプラチナ・チケットになるかもしれない。技術が進化すれば、豊かな生活が社会に浸透する一方で、真に希少な人的資源、物的資源には高い価格が付く。これを逆にみると、少量の資源によって多くの果実を生むということなので、生産要素生産性が飛躍的に上がるということでもある。つまり経済が成長するということである。その希少資源を保有している人物は大変な富を得るという理屈になる。この経済格差を容認するなら資本主義経済は生き残るだろうし、それは神の計らいであると考えることができず、許されない不平等であると考えるなら、その社会は社会主義なり共産主義を選んでいくだろう。ザックリといえばそんなことだろうと。
もちろん、技術革新を実際のビジネスに落とし込むには、才能だけではダメであり、先手必勝の果敢な設備投資が必要だ。リスクを避ける安全第一の経営を続けていれば、遠隔授業、テレワーク時代の勝者も米中両国に獲られたと同じで、高いサービス価格を支払いながらの優良顧客に甘んじるしかない。国内ビジネスの資本収益率はさっぱり上がらず、有資産階層ばかりが配当を受け取る。そんな経済になるばかりだ。こんな風にも思われるのだ、な。
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