2020年9月7日月曜日

断想: 「ポスト中流社会」のことはまだ分かっていない

まだ小生の両親が現役世代であった頃の日本は「一億総中流社会」だった。所得分配の不平等度を示すジニ係数は家計調査ベースで30%そこそこで世界でも最低レベルであった。

所得格差がなく、旧敗戦国でエリート階層が没落し、農地改革も行われ、かつ平均余命がまだ低く高齢世帯が少なく(従ってまた)資産格差がそれほどのレベルではなかった当時の日本社会で、隣近所の生活水準にはそれほどの違いがなかった。簡単に言えば同じような物を食べ、同じような耐久消費財を買っていた・・・、とマアそんな風であったのを覚えている。

そんな平等社会では、税を負担している階層と票を持っている階層とが概ね重なり合っている。多くの票を獲得しようとして、多くの有権者が望む政策を提案すれば、その政策が同時に納税者が望む政策にもなっていた。ザックリといえば、そんなシンプルな社会構造だったと要約してもよいと思う。


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高齢化により結果として高レベルの資産格差、所得格差が顕在化し、そればかりでなく同世代内においても教育格差、収入格差が顕著になってきた現在の日本においては、上のような理屈はもう当てはまるまい。

恒産(=金融資産・実物資産)を保有し税金や国債購入などカネの面で社会を支えている人々(=有産階層)と、主に労働(≒身体)で生計をたて投票(≒発言権)を通して要望を伝えようとする人々と、その両方の集団の差が拡大し、要求が乖離する。多くの有権者の心理にマルクス的な《疎外》が次第に現実化する。そんな社会状況になってきたときに、どんな政策が実行されるのだろうか、社会はどう変化していくのだろうか、そういう問題だと思われる。いま上では「有権者」と書いたが、遠ざかる集団それぞれにとって「疎外」という点では互いにそうなりつつある。

願いのオモムキは分かるが、難しいのじゃ

絶対権力下の江戸時代ですら、こんな呟きくらいしかできない幕閣が多かったはずだ。簡単に解決できる社会問題ではない。その意味では、歴史の分岐点に日本は差し掛かりつつあるのだと思う。


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日本の近代化も一度はそんな段階を踏んできたように見える。

明治期を通して日本は立憲民主制を採ったとはいえ選挙は制限選挙であり、議会や政党はあっても本質的には多額納税者(≒有産階層)の要望に沿って、政治判断がなされてきた。実際に、戦争を戦ったのは無産階層(≒庶民)から召集された兵士であったにも拘わらずだ。もしも日露戦争終結時に普通選挙が実施され、世論調査までが行われていれば、小村寿太郎率いる外務省がポーツマス条約を締結できる余地はなかったであろう。史上有名な「日比谷焼き討ち事件」は庶民による憂さ晴らしを遥かに超える政治的意味をもっていた。

大正期も終わる頃になってようやく普通選挙が導入された―男性だけに限られてはいたが。左翼政党も結成された。が、明治以来の二大政党は有産階層を地盤にしていた ― 歴史を考えれば当たり前のことだ。多くの日本人には投票したい政党がなかった。政党はどこも腐敗しているように見えた。民主主義に失望した。結果として権力を奪取したのが《陸軍》であったのは — 今更その時代の人に聞いてみるわけにはいかないが ― そんな心理があったのではなかろうか。永井荷風は「軍人政府」が堪えられない程に「愚劣野卑」であるとこき下ろしているが、荷風は間違いなくエリートである支配階層出身で父親から資産を相続した「坊ちゃん」であったのだ。

ただ「軍人政府」は余りにも政治オンチであった。経済社会システムに無知な専門バカであった。もし陸軍が満州事変を選ばず、日中戦争をも自重して、その代わりに、戦後になってGHQの権力を借りてやっと実現できた「農地改革」と「財閥解体」を志していれば、実際の歴史とは大きく違う道筋を日本は歩むことが出来たのではないかと想像することがある。ほとんどそれに等しいことを実際にはやっていたのであるから。


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もちろん現代日本には戦前の陸軍に匹敵するような潜在的な権力組織はない。憲法の制約もある。ただそうだとすると、経済的な実態と政治的な建前とが乖離してしまった場合、どのようにして政治的意思決定システムを再構築すればよいのか、小生には見当がつかない。

格差社会の果てには身分社会があるとも言えるし、政治的不満が決して解消されない階層が暴力的騒乱を引き起こすかもしれない。

いずれにせよ、単に「民主主義」と連呼しているだけでは、問題は解決されない。これだけは確かであると思う。民主的であれば形は違っても現れうる問題だからだ。『これこそ歴史の弁証法的発展なのだ』といえばこれまたマルクス的な表現になるが誤りではないと思う。


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