2020年9月1日火曜日

一言メモ: 「だれ君?」と言われそうな話し

 税金が絡んだ事柄であれば日本人は誰でも口をだしてもよいという理屈は確かにあるが、こればかりを言うと「なら、多額納税者はより大きな発言権をもつのも仕方がない」という理屈になってきそうだ。

カネを出すなら口も出す。この理屈なら、声の大きさもカネ次第

こうはならないのかどうか気になるところだ。カネの話にしてはいけないのじゃないか。

まして、現在の国の財政状況は足元の「コロナ禍」で遂に国債依存率が50パーセントを越えてしまった。国債を買い支えるのは、最終的には有資産階層であり、国債償還の財源についても同じ事情である。とすれば、最後には「金銭面で社会に貢献している人たち」の意向が大事だという話になるのがますます自然な結末にみえてしまう。

戦前期の日本であれば、すべての日本人男性は兵役の義務を負っており、貧富にかかわらず誰しもが平等に命を張って国を守っていた。平凡な庶民も「国を守っているのは自分たちだ」という一種のプライドを持っていたであろうが、戦後日本は事情が違う。身体を張って日本国を守る義務は誰一人もっていない。基本的人権が最も尊重される建前だ。義務といえば「納税」、「教育」、「勤労」があるのみだ。その税金ですら、予算の半分も納めていないのが今の状況で、足りない分は余裕資金をもっている所から政府が借りている。なので、あまり「税金云々」を言い立てるのは小生賛成ではない。戦前期日本で育った前世代から『まだ何か?』と呆れ半分の声音できかれそうだ。

たとえ自分が共産党支持であるとしても、自民党も政党であり税金から政党交付金を交付されている以上、自分にも自民党運営方法の是非については発言権がある、と。こんな納税者感覚から自分とは関係ない自民党の総裁選出方法の是非について、喧々諤々の議論を展開するというのは、ちょっと気恥ずかしくて参加する気になれない。

何かいえば「あなた、普段みないけど、どこのどなた?」と言われそうである。

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