「危機(=Crisis)」に遭遇したとき、度合いの違いはあれ「社会変革」が求められる。
リーマン危機でもそうだった。今回のコロナ危機でもそうである。
海外では、特にアメリカでは既存企業が破綻する一方で、新規企業が創業され、経済的リソースの再配分が進み、人々が移動していく形をとる傾向が強い。実際に、危機をはさんだ時期の企業倒産、新規開業データの動きを比較してみると日本とアメリカとの違いは歴然としている。ずっと以前、政府の「経済財政白書」でこの点が指摘されたことは経済専門家であれば誰でも知っている(はずだ)。
日本では、既存企業の倒産と新規企業の開設という変革方式を(自民党政権は?それとも日本人は?)好まないところがある。「好まない」というより、危機の中で既存企業が消えていく現象に日本社会は堪えがたい感情を抱く傾向がある。消していくより守りたいという感情が強く働くようだ。故に、日本社会の変革は個々の企業の自己変革と政府による変革支援という形で進むことが多い。
しかし、一軒の家を大幅にリフォームするよりは、新しく建て直した方がずっと割安で楽であって、かつ思い切ったことが出来る。これは誰でも知っている事だろう。
1990年代初めから既に30年が過ぎた。日本経済の生産性上昇率が停滞しているのは、より低コストでスピーディな倒産と創業ではなく、困難と忍耐を伴う自己変革によって急速な技術進歩の果実を得ようと努力し続けている点に由来している。
日本社会は「継承」に高い価値を置く。伝統や由緒という言葉に弱いのだ。しかし、伝統にせよ、由緒にせよ、それは守るべき資産を受け継いでいる有産階層の事情なのである。
安定はしているが、閉塞感が高まり未来が見えにくいのは、このためである。
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