2020年9月28日月曜日

失われたのは時ではなく友情であったのかも

 昨年の今頃からどうした拍子か、それまでも好きだったモーツアルトが心の奥底で琴線に触れる感覚を覚え、それ以降はほとんどモーツアルト以外の楽曲を聴かなくなり、既に1年が過ぎた。

いま聴いているのはポストホルン・セレナーデ(K.320)だ。1779年に作曲されているからパリで母を亡くした後である。第1楽章は後年のシンフォニー「プラハ」の響きを連想させられるし、39番を想わせるところもある。全体に成熟した明るい清澄さに満ちている中で第5楽章は晩秋の湿り気が悲哀となって溢れる。世間では、この曲より3年前に作られたハフナー・セレナーデ(K.250)を高く評価する向きもあるようだが、小生はまったく逆である。


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このポストホルン・セレナーデには思い出がある。

大学の3年、4年と小生は東京・王子に下宿していた。それまで父の勤務の関係で目黒区・柿の木坂の借上げ社宅に家族と同居していたのだが、3年になって父は名古屋に転勤していったのだ。

その下宿は王子駅から歩いて15分ほどの所にある小じんまりした平屋造りで一番奥の8畳間が小生の部屋であった。床の間までついているので最初に見たときには驚いた。障子と襖で仕切られた日本間は普通の家と同じでいかにも素人下宿風のところが小生は大変に好きであった。北側の窓を開けると、そこは隣地にある紅葉寺の墓地で塀の上から何本も卒塔婆が目に入るところはご愛敬だったろう。

隣の6畳間には東京外国語大に在籍しているもう一人の学生が暮らしていた。T君と呼んでおこう。部屋の仕切りは襖一枚であったので、夜になるとT君がお茶を入れるコポコポという音がそのまま聞こえたりした。しばらくする内にT君は『話に来ませんか』と声をかけてきた、小生は同君の部屋の中を初めて見た。彼は結構良い品のオーディオ・コンポ、当時の呼び方で言えばステレオをもっていて、そこでT君もまたモーツアルトが極めて好きであることを知った。何が一番好きかという話になったとき、T君は言い迷うような口ぶりで「ポストホルンもいいが、そうだなあ・・・」と腕組みをして天井に目を向けた。T君はドイツ文学を専攻していて非常に生真面目であった。結局、モーツアルトの何がいいという結論にはならなかったと記憶しているのだが、小生はポストホルン・セレナーデという曲をまだ聴いたことはなく、モーツアルトと言えばオペラか、そうでなければ交響曲に決まっていると確信していたので、まったくT君の意見を意に介しなかったことだけは覚えている。その後、小生とT君は余り交際を深めることはなく、引っ込み思案のT君は大家の叔母さんとも気まずくなったようで、大学院入試に失敗したのを機に下宿を引き払って去ったのであった。

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モーツアルトの(ほぼ?)全曲をAmazon PrimeやYoutubeで聴けるようになったおかげで、ポストホルン・セレナーデが非常な傑作であることを知ったのはどちらかと言えば最近である。

T君の耳の方が小生よりは余程成熟していたに違いない。

2,3年前、久しぶりに王子駅に降りて昔くらしていた辺りを歩いてみた。王子駅周辺は景観が変わってしまっていて、飛鳥山下、音無橋畔にあった扇屋もなくなっていた。紅葉寺はあったので下宿の建物がその辺りにあったことは知られたのだが、区画が整理されていて家並みと道路が昔とはまったく違っていたため見当がつかなかった。

T君のその後の消息は知らない。ドイツ文学を愛し、トーマス・マンを研究していたらしいが、同君の志どおり研究の道を歩めたのかどうかも不明である。小生が何年か前、トーマス・マンの『ワイマールのロッテ』を読む気になったのは、古くなった記憶を思い出したせいかもしれない。


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友情は若い頃にしか得られない人生の宝だ。しかし、友情が芽生えるのは多分に偶然によるもので、なにより出会った本人の心がそれを受け入れるだけの余裕をもっていなければ、せっかくの好機も実を結ぶことはない。

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