2020年9月12日土曜日

強い政府と弱い政府

体制の変革は具体的には改憲(=憲法の書き換え)という形をとることで誰の目にも明らかになる。「弱い政府」だから国民から信頼されないわけではないが、国民は往々にして「強い政府」を望むものである。しかし、「強い政府」だから国民は幸福になるわけでもない。「強い政府」、「弱い政府」の区別と憲法のあり方とは、互いに関係ありそうで、ないようでもあり、その区別は微妙である。

が、公益の追及に対して国民がどの程度まで自己犠牲的な義務を負うのか。その度合いは憲法で規定されるわけだから、憲法は私たちの暮らしと直接関係している。法律専門家だけが憲法に関心をもっている状況はとんでもないことである。

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フランス第3共和政はフランス史上で「弱い政府」の代表格として知られている。「第3共和政」は、ナポレオン3世が統治する「第2帝政」が普仏戦争に敗北したことで崩壊し、プロシアの主導下で生まれた政体である。勝者となったプロシアが敵国の栄華の象徴であるベルサイユ宮殿に入り成立を宣言することで誕生したのが「ドイツ帝国」である。ドイツへの屈服に反発したパリ市民は徹底抗戦を叫びバリケードを築いて革命自治政府「パリ・コミューン」を名乗って立てこもった。籠城2か月、第3共和政政府はドイツのビスマルクと交渉し、仏兵捕虜15万人を返還してもらうことで優勢を築き、パリ鎮圧に成功した。パリ・コミューンの指導者は全て処刑された。この間のパリ市内の混乱は画家エドゥアール・マネの描くところでもある(この投稿を参照)。

そんなわけで第3共和政はフランス人にとって弱体政体であったが、それでもベル・エポックの爛熟した文化を演出し、更に第一次世界大戦では予想外の善戦を示し、宿敵ドイツ帝国を崩壊へ追いやることに成功した。驚きのリベンジに成功したわけであるが、それが最後の輝きでやがてヒトラー政権下のドイツ軍がパリを占領するに至り、第3共和政はあっけなく崩壊した。


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その国には時代によって「強い政府」と「弱い政府」がある。この区別は明らかにあると思う。

日本の明治維新で誕生した政府は日本人にとっては明らかに「強い政府」だった。その理由が外部支援なく武力倒幕に成功したというたった一つの事実にあるのは明らかだ。ちょうど徳川幕府の正統性が関ヶ原と大阪の陣からもたらされたと同じことである。

それに対して、戦後日本の政体が「弱い政府」であるのも明白で、仕方のないことだと思う。理由も明らかで、何と言っても第2次大戦の敗戦を処理した、その意味ではフランス第3共和政に類似した性格をもつからである。

永井荷風は『断腸亭日乗』の中で次のように記してある:

昭和22年5月初3。雨。米人の作りし日本新憲法。今日より実施の由。笑ふべし。

荷風は徹底した個人主義者であり、自由主義者であり、反・軍国主義者であったが、その荷風もまた上のような目線で日本国憲法を視ていたことは、ある意味で象徴的であろう。同時代の日本人から「戦後日本」という体制が胡散臭い感覚とともにみられていたことは、一言で言えば「弱体政府」であったということだ。弱い政府が何とか持続したのは、占領したGHQの権力の支援があったからに他ならない。 日本人は次第にそれに慣れていったのだ。「弱い政府」は国民にとっては暮らしやすいのである。「暮らしやすさ」が戦後日本体制を支えてきたほとんど唯一の理由であろうと、小生は勝手に要約している。「暮らしやすい」という点を除けば、戦後日本に何か誇るべき美点があるのだろうか?

その弱体政府が、戦後日本において経済的成功と文化的成功をもたらしえたのは、19世紀終盤から20世紀半ばにかけて、フランス第3共和政が果実をもたらしたことと、似ているといえばソックリ同じに見える。


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実は、日本国憲法はアメリカが作った憲法ではなく、ちょうどその頃雨後のタケノコのように提案されていた日本人による新憲法案の中の憲法研究会「憲法草案要綱」がかなりの程度まで下敷きになっていたという事実は、もう少し教えられ、強調されてもいいのではないか、と。それが「国定教科書」でもほとんど触れられないのは、現行憲法の権威を認めたくない勢力が政界上層部に少なからずいるからであろうと。小生は勝手にそう思うことがある。がマア、これも一例に過ぎない。理想的な憲法であるにせよ、公然の、あるいは隠された「出生の秘密」があって憲法成立の過程を堂々と教え、語れないという点に戦後日本体制の弱さがあるという指摘は当たっていると思う。たった一度の部分的修正も自発的に加えていないという経緯は、憲法を強くしているのではなく、弱くしているのではないか、と。補修・強化をしない建築物のようなものである。そんな感覚を覚える2020年である。

日本経済新聞社『昭和経済史』(昭和51年、有沢広巳監修)の265頁には

GHQの強力な指導によって生まれたかに見える新憲法は実は高野岩三郎らの民間研究グループ「憲法研究会」案が参考にされていた。また(日本政府が当初提案した)松本案に批判的反応を見せた世論は、逆に新憲法を熱狂的に支持した……

こんな下りがある。だから、現在の日本国憲法はアメリカ製であって改憲をするのは戦後体制をくつがえす行為にもなるという見方は当たらない。現憲法も日本人がそもそも考案したものである。その憲法を後世代の日本人が修正するのは、起草者はウェルカムであるはずで、戦後日本の憲法と政府の正統性を揺るがせ、弱くするのではなく、反対に強くするに違いない。

【加筆】2023-09-11


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