2020年9月26日土曜日

再びホンノ一言: 女系天皇容認の最終的帰結は明らかでは?

 内閣が変わってどうやら「女性天皇」、更には「女系天皇」を容認する方向へ進んでいくかもしれない、と。日本の天皇制もとうとう(何度目かの)歴史的曲がり角にさしかかった、と。そんな風に思われる今日この頃だ。

女系天皇はなるほど問題解決の決め手にはなるが、小生、その最終的帰結はあまりにも明らかであろうと推測するのだ、な。


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戦前期にはこうしたことを書けば「不敬罪」に当たるのだろうが、現在の直系長女である愛子内親王ですら、血脈上の関係からいえば4分の3は皇統とは何の関係もない「平民」の出自である。上皇后、皇后が平民出身である以上、そんな理屈になる。にも拘わらず「やんごとなき御血筋」であると敬意をこめて見られているのは、ただただ歴史を通して一貫して守られてきた男系皇統をたどったときの直系であるからだ。いわば本人の出来・不出来とは無縁の、家柄による「伝統的かつ習慣的な敬意」である。母系をたどれば平凡な庶民である。

皇位云々の話しをする際は、この日本古来の「家柄意識」こそが論点の核心であることは隠しようもない事実であろう。一貫して守られてきた伝統を尊いと感じる心情以外に、「天皇陛下」に敬意をもつ理由が何かあるだろうか。「お家柄」が高貴であると意識されているからこそ、言葉や行動をめぐって痛くもない腹を探られるような芸能ネタにならない、なれば芸能メディアの方が制裁される、こんな社会的メカニズムが働いている、そう思われるのだ。根本には日本国の源流まで遡れるほどの正真正銘の名家であると国民が思っている、「思っている」という正にその点に天皇という存在の本質がある。ということは「思えなくなる」状況になれば天皇の本質は消え去ると考えておく方がよいだろう。

父親でつながったり、母親でつながったりしつつ、その時々で決めた方式で皇位を継いでいってもよい、というのがいかにも戦後民主主義に基づいた発想ではある。しかし、遺伝学的には、我々庶民とほぼゝ同じ家柄で、血筋からいえばほとんど「平民」であるにも拘わらず、たまたま誕生した場所という唯一の理由から、一生皇族として特別の「身分」をもって生きることの不自然は必ず議論される時がやって来るだろう。この予測、相当に自信がある。超長期すぎて小生本人は確かめようがないが。

ともかく現代日本には、英国のような貴族も、フランスのような貴族の家柄も、もはや社会的実在とは言えず、婚姻関係を通じて「王家」にふさわしい血筋を保つ基盤はなくなってしまっている。

女系継承を認めてから3世代を経ることなくして、天皇家は実質的に「崩壊」、というより「皇居」で暮らす人々への国民の敬意が風化し、失われる事態に立ち至るのではないか。具体的には、旧・江戸城で暮らす人がいて、そこを「皇居」と称するという、現代日本で最も盤石と思われる慣習も、「理屈に合わない」という批判にさらされる時がいずれやって来るのではないか……どうもそう思われてしまうのだな。


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天皇制は身分制社会の歴史的遺産である。この本質を忘れて現代的議論をいくら重ねても真っ当な結論が出るはずがない。このことは前にも投稿したことがある。面倒なもめ事が増えそうだ。これも前に投稿した。

選挙で選ばれた政治家は国家公務員であり、政治的に発言する際には必ず現行憲法に束縛される。しかし、日本国民には思想の自由があり現行憲法に束縛される義務はない。政治家ではなく、自由な立場にある日本人全体が天皇制の将来は決めるべきだろう。

どうしたいのか?

というただこの一点のみだと思われる。

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