2021年3月15日月曜日

「奇跡の10年」という時代も時にやってくる?

テレビドラマ『天国と地獄』に影響されたからか、今年になってからベートーベンを聴くことが増えた。そういえば昨年はベートーベン生誕250周年であったのだが、コロナ・パンデミックでフルオーケストラの演奏会などは自粛に追い込まれ、全く盛り上がらないままに年が変わってしまった。

交響曲第2番はごく最近になってから愛聴するようになった。ベートーベン32歳の年に作曲されたそうだ。難聴が酷くなっていた頃である。実はこの第2番が"Pre-Eroica"と言ってもよい程の深みと広がりをもつと思うようになった。若い頃とは好みや感性が変わってきたせいか、この歳になってから最も頻繁に聴くようになった。ブラームスを想わせる「オヤッ」と思う響きを感じるのは不思議だ。というか、モーツアルトには古さも新しさも感じないが、ベートーベンにはある種「モダンさ」を感じる時があるのは自分だけだろうかと思ったりする。

ベートーベンの第2番はモーツアルトの交響曲でいえば第38番『プラハ』辺りに相当するかもしれない。年齢的にも近い。『プラハ』はモーツアルト30歳の作品である。こちらは第39番以降の三大交響曲の前の"Pre-Greats"とでもいったところだ。

ベートーベンの交響曲は第1から第9までを通しで聴いても時間が惜しくはないという人もいるだろう。小生は、中でも特に第2から第3の"Eroica"を経て7番に至るまで、ベートーベン32歳から42歳までの10年間は、「奇跡の10年」であったと思っている。

モーツアルトの40番、41番辺りを聴いていると、これを超えて完璧な交響曲はありえないと思ったりするものだ。

が、ベートーベンを聴いていると理屈ではなく心が揺さぶられる。初めてベートーベンの音楽を聴いたゲーテが落ち着きを失い『こんな騒々しい・・・』とブツブツとつぶやいたそうだから、凡人がただならぬ気持になるのは当たり前だ。

モーツアルト晩年の1788年とベートーベン32歳の1802年。その間、14年。「十年一昔」というが、楽想の変わりようは個性の違いを超えて信じがたいほどだ。フランスから発した《革命》は、全ヨーロッパの社会秩序から人々の暮らし、感性、あるべき社会像まで、全てを変えてしまった、音楽もまた津波のような社会的激変の中に流された。やはり《奇跡の10年》であったのだろう。今流の表現をすると、あるはずのない時代、間違っている時代、つまり《ブラックスワン》である。

振り返れば《革命》であったことが分かるが、リアルタイムで生きていた人々はただひたすら《混乱》だけが見えていたかもしれない、というか多分そうだったろうと思う。巨大津波で消失した古い街並みや旧式の暮らしにもよいところは多々あったはずだ。後になって、より進んだはずの社会から懐かしい時代を思い出したりするのも人間の性だ。


やはり、何事によらず「この世の一寸先は闇」である。


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