2021年3月17日水曜日

断想: 「選択的夫婦別姓」の議論百出に想う

森喜朗・前オリパラ委員長による「女性蔑視発言?」を契機に、一挙に標題の話しまでが本格化してきているという。まさに一寸先の展開が読めない闇の時代である。

もちろんこの問題に「正解」はない。あるはずがない。

夫婦が、一夫一婦の社会であろうが、一夫多妻の社会であろうが、他のどんな社会であろうが、夫婦はそれぞれいかなる苗字/名字を名乗るのが正しいか?

ロジックで結論を出せるはずもないし、実際、日本の歴史の中でもその時代、その時代、都合の良いように移り変わっている。

その以前に、それほど重要な問題でありうるのだろうか?

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自然科学の中身は実は「仮説」に過ぎず、ただ「精密科学」であるが故に機能している。社会科学においては確立された仮説すらもないのが現時点における知の限界だ。故に、標題の「選択的夫婦別姓制度」は是か非かという問題にも、「正解」がないのは当然で、どう結論を出すにせよ、多数の日本人が「納得」できるか否かという点だけが問題となる。大体、「苗字/名字」というのはどこの国でもそうだが、便利なように自然発生的に出来てきたものである。稀な例外を除いて政府の命令に基づいて決まった苗字はない。全て自然に発生して当人がそれを使ってきた。

はるか古代においては「氏」があった。藤原氏や源氏、平氏などがそうで、いわば(父系)の血族的所属を明らかにするものである。その「氏」は子孫が分派していくうちに「姓」に分かれ、「家」が形成された。例えば、藤原氏は「藤原北家」や「藤原式家」等に分かれた。更に家から「流」が派生して、藤原北家からは「近衛」や「九条」など五摂家が生まれてきた。これも「▲▲家」である。その「近衛」や「九条」だが、血縁集団を示す「氏」ではなく、同族の中で「近衛大路」に屋敷を持っている家は「近衛」、九条通りに住んでいる人は「九条」と呼ばれるようになったわけである。つまりは名字は識別のための呼び名であった。

武家も同様だ。源頼朝は氏である「源」を名乗っていたが、嫡流から外れた傍流の源義国流の家系は暮らしている土地の名前を苗字とした。長男の義重流は「新田」、次男の義康流は「足利」を名乗るようになった。その足利も全国に枝葉を広げるうちに子孫は「細川」、「斯波」、「畠山」などと別の苗字を名乗り、分家が増えていった。その分家も更に分かれて「〇〇流」などと区別されるようになる。鎌倉幕府を支えた北条家も最後には多数の「流」や「家」に分かれていた。これはもう家系図の世界であって、専門に研究している学者も数多い。

ここから分かる事は、そもそも個人の名前とは

個人名としては〇〇、所属する家の名は●●、その家の発祥は◇◇

を含む情報から構成される固有名詞であり、それが世間が求める識別情報として十分であれば名前としては通用したわけである。

通用させたい空間が武家社会であれば、苗字に加えて源氏であるか平氏であるかが重要であったかもしれず、その空間が自分のムラであれば、活動範囲も限られ、地名を苗字とする必要もない。

この辺りの事情は、ヨーロッパの例えば古代ローマにおいても同様で、有名なシーザーはガイウス・ユリウス・カエサルが本名だ。個人名はガイウス、氏族としてはユリウス一族(日本で言えば、たとえば源氏)、家の名はカエサル(例えば、源氏の中の足利家)という意味である。

これに加えて、幼名が通称として使われてもおり、また名を与えられることもあったので昔の人は度々自分の名前を変えている。長尾景虎が上杉家を継いで上杉政虎に、そして将軍・義輝から輝の一字を受けて輝虎と名を変えたのはよく知られている。これに幼名の虎千代、法名の謙信があり、謙信が通称として最もよく使われているので実に面倒だ。

とはいえ、人の名前とは都合によって実は自由に変えられるものなのだ、と言う点はよく分かる。そして、本来は自分の名前くらいは自由に変えられるものであって当然だろう。これが「あるべき形」だろうと思われるのだ、な。

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江戸時代までは日本の一般庶民は苗字/名字をもってはいなかった。名字をもつというのは、世間に対して明らかにするべき「氏族名」、「家名」を有している場合において意味をもつのであって、特に歴史的な勲功や豪族の一員でもなければ、名字を名乗る必要はなかったわけだ。

こんな事情であったのが、明治8年になって「平民苗字必称義務令」が施行され、全ての国民が苗字/名字を名乗ることになった。《戸籍制度》を拡充して確実な徴税を目指した大蔵省が主導した政策である。徴税だけではなく、徴兵や義務教育の浸透にも寄与したのは当然の成果であって、デジタル技術などがない明治維新期においては今日の《マイナンバー制度》に相当するような抜本的な改革であったのだ。

「戦前」という時代、全ての日本人男性は兵役の義務を負っていた。召集令状に応じる義務があった。召集を受けた日本人は現住所にかかわりなく本籍地を管轄する連隊に入ったのであった。戸籍制度と戦前日本の行政システムは裏腹の関係にある。そして、全日本人の「苗字/名字」は戸籍制度をどう設計するかによっている。

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現時点の日本の行政に日本人が全て戸籍上の「苗字」をもつ必要性はないのではないだろうか。

個々人はすべてデジタル化時代の国民管理システムである「マイナンバー」を通して把握されている。そのマイナンバーで徴税、資産管理、医療、福祉等々、国家と国民が関係するあらゆる側面を制御していくというのが、いま日本社会が進んでいる方向である。マイナンバーは人為的に生成された番号だが、DNA情報が出生時に公的に登録されてしまえば、ナンバー変更すらも可能になる理屈で、いずれそんな時代になるだろう。

思うのだが、日本国にとって必要なのは一人一人がどう名乗るかという氏名ではない。ナンバーが確定されれば、誰であるかは直ちに識別できるのである。もはや、手続きを行おうとする日本人が「鈴木太郎」という氏名を名乗っているかどうかは、どうでもよい。マイナンバーを正確に入力してくれれば、行政上必要な事柄は確認できる。

このような現代日本において、どんな苗字を名乗るか、どんな名前を名乗るか、それが公的な意味をもつとは思えない。

というか、江戸期の日本に戻って、苗字は不要と考えるなら、昔のように「五作」、「市兵衛」、あるいは「はな」、「しの」、「アンナ・マリア」などと自由に名乗るとしても、公的になにも不都合はないはずだ ― セキュリティ上は、その時点で届けている「名乗り」をパスワードとしてマイナンバーと紐づけておく設計は必要になるだろうし、更に第2パスワードも要るだろう。が、つまりはマイナンバーシステムのセキュリティ管理に属する問題で、夫婦同姓が善いか、夫婦別姓が善いかという不毛の論点とは無縁の事柄だ。

戸籍において、「苗字」を必要記入欄から外してしまえば、夫婦別姓であろうと、夫婦同姓だろうと、どちらでもよいという理屈だ。2代あとの孫が住んでいる地名をとって別の姓を名乗り始めるのも自由である理屈だ。もちろん「細川」とか「島津」とか、子々孫々(?)伝えていきたい苗字を有している人は、その苗字を大事に守っていくだろう。が、これは個人個人の自由裁量に委ねるべき事柄で、法律を規定して国から「こうこうするべし」と命令することでもないはずだ。

意味のない議論などは中止して、現時点の技術水準を前提として制度設計を行うべきだろう。人がどう名乗るかという行為は、本来は国家が決めることではなく、まずは両親、家族、成長したあとは本人が固有にもっている権利であるはずだ。



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