2021年3月30日火曜日

コロナ1年:日本のジャーナリズムの最もさびしいところ

感染拡大の核になっている営業形態が確認されているのであれば、それをターゲットにして感染抑止のための政策資源を集中投下するのが行政オペレーションとしては効率的である。

コロナ禍での感染防止政策を推し進めるには、戦後日本の民主主義で暗黙の前提とされてきた色々な大前提と矛盾するような行動をとることが求められている、という点こそいま最も悩ましいところなのです・・・というのがいわゆる「良識派」とされる人々の心理だろうと推測している。

かなり以前だが、こんな投稿をしている:

ターゲットの確定は、店舗・区域・自治体など様々なレベルがありうる。

しかしながら、ターゲットをどのように決めるにしても、ターゲットを決めること自体によってその政策は国民に対して<差別的>に働く。その意味で、ターゲットにされる側の基本的人権を侵害することにもなるという理屈はありうる。

しかし、公益拡大のため<差別的>に作用する政策が不適切ということであれば、便益平等の公共サービスの財源にするために累進的な所得税を課することもまた本当はおかしいという理屈になる。

公益のため一部の人たちに我慢を強いるのは人権を侵害する。「だから、みんなで我慢しようヨ」という考え方は、要するに「一蓮托生」のロジックであり、公益を名目として国民に「連帯責任」を求める思想と同じであろう。

小生はこのような考え方には反対する立場に立っている。

この何日か後では、こんなことも言っている:

 小生: 「経済」なんて、どうしてこんな抽象的な言葉でお茶を濁すんだろうね。「みんなの仕事の数」って言えばいいんだよ。

カミさん: 仕事の数って?

小生: 「経済を抑える」というのは、要するに仕事を抑える、客を減らす、注文を抑える、要するに、みんなの仕事の量を減らすってことだよ。仕事から外される人を増やすってことなんだよ。

カミさん: 確かにねえ、でもそうしないとコロナの感染は減らないんじゃない。

小生: 歌舞伎町でもススキノでもそうなんだけどサ、いくら注意しても言うことを聞かないホントに心配な店は、もう最前線の担当者には頭に入ってるんだよ。そんな店をターゲットにして、夜中にマスクをせずに盛り上がっているその最中に、突然踏み込んでサ、『これから緊急衛生検査を始めます。この部屋を出ないでください』ってね、店の経営者には『衛生検査令状です』とか、もしこんな行動がお上に許されればね、これは感染予防には正に一罰百戒ってものになるさ。ススキノが感染拡大の核になるって状態は、絶対確実に止められる。これは間違いないよ。

カミさん:「令状」って、そんなのないでしょ?

小生: そこさ、問題の本質は!できないんだよ、今の法律では。憲法上できないってことはないと思うんだけどね、みんなが助かるんだからさ。踏み込まれた店以外の店は、一生懸命にガイドラインを守ってるんだから、何のお咎めもないんだしね。でも、これが出来ないのさ。

 足元では、『これまでに実行されてこなかったピンポイントの新しい方策を実行しなければ感染拡大は抑えられない、国民は自粛に疲れてきた、こういうことではないでしょうか?』、『検査拡大に舵が切られてはいるんですが、広い地域を対象となると、なかなか追いつかない』、『やはり対象区域をしぼって、ということでしょうか?』・・・、いやまったく、エンドレスで同じテーマについて話し合いを続けているのが現時点の日本社会の実相であろう。

こんなことは遠く北海道の港町で世相をうかがっているだけでも分かるほどの簡単な問題である。

隠れた問題を発見するなどという高度の知性が要るわけではない。

当たり前の対応を的確に実行するだけで大いに前進するはずのことなのだ。

それが出来ないで来た。

出来なかったのは何故か?

担当部局の内部で「理論上、もっとも適切な対応方針」を提案した人が一人もいなかったはずはない。いなかったのか?誰がその提案を抑えたのか?なぜ却下されたのか?

この疑問に踏み込んでほしい、というのが視聴者、読者の最大の希望であると思うのだが、東電福一原発と同じように、問題の本質にストレートに迫って、ストレートに社会に公表するようなメディアは、日本にはどうやら存在していないようである。

日本には、結局、ウッドワードもハルバースタムも生まれないし、生まれたとしても社会が育てないのである。

「事実」で勝負せず、「話芸」で勝負する人物ばかりがメディア業界で目立つのは、日本社会のそんな傾向のためであると思っている。

そのことが最も深刻にさびしいところである。

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