新型コロナのワクチン接種が始まる中で、変異種の広がりが心配されている。
TVのワイドショーなどをみていると
ワクチン接種が始まる中、変異種に対しても、効果はあるのか、ゼロなのか?
(いつものことながら)こんな《切れの良い言葉》がポンポンと飛び出している。
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そういえば、昨年の12月に入った頃、GOTOトラベルを続けるべきか、停めるべきかで世間で激論をしていた頃、
GOTOトラベルが原因となって感染が拡大しているという因果関係は立証されていない。
政府(及び統計専門家?)からはこんな主張がされていた。
これに対して、「良識派?」の言い分は
GOTOトラベルと感染拡大とがまったく関係ないとは考えにくい。
「関係がある」というエビデンスがないからといって、「関係がまったくない」とは言えない。
こう反論していたように記憶している。結果として、激論はグダグダと不定形の進行になってしまい、最後に政府がGOTOトラベルを止めるという判断をして激論は終わった。激論自体の結論は宙ブラリンのままとなった。
こういうことが日本には多い。調べているわけではないが、海外でもそうだろうか?
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確かに、統計的仮説検定は「データが反証たりうるか否か」、つまり真であると前提する帰無仮説をデータによって棄却できるかどうかだけが可能なのであって、仮説に合致しているデータを列挙しても、それによって仮説が正しいことのエビデンスを示したことにはならない。これが伝統的な推測統計学のロジックである。
そもそも
「関係が無い」ということをデータから立証するのは不可能に近い。
なので
データから言えることがあるとすれば「関係が無いという仮説はデータと矛盾している」という反証の確認である。反証が確認されるまでは、「可能性として、関係がないと前提してもよい」ということであるが、疑いは残り、真偽は不明である。
伝統的な統計理論の考え方は上のようなものだ。
ところが
常識的に考えれば、GOTOトラベルが感染拡大と全く関係がないという可能性は限りなくゼロに近いのではないか。感染拡大と関係があるという可能性のほうが高いのではないか?
疑問の本質はこんな内容なのであるから、分析手法としてはベイズ流の立場から、それぞれの可能性が真である事後確率を(その時点で利用可能な)データに基づいて計算すればよいわけである。
TV、新聞などメディア情報を見ていたのだが、《GOTOトラベルと感染拡大とが関係していない確率、関係している確率》の計算結果は一つとして出てくることはなかった。
多分、
GOTOトラベルと感染拡大とは、関係があるのか、ないのか?
素人集団であるメディア従業者はこんな感覚で伝えていたのだろうと思う。
GOTOトラベル論争が不毛なまま続けられたのは、日本のメディア社会における「数理リテラシーの不足」、「確率というコンセプトの無理解」がもたらした現象だと思われる。
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それにしても、いままた
変異型ウイルスに対して、ワクチンの効果はあるのか、ゼロなのか?
又々、こういう語り方をしている。
キャスターも《話業》、《話芸》であるから、どう語っても自由なのだが、
私たち地球人からみると、太陽が動いているように見えるのも事実です。この事実を否定してよいのか、悪いのか?
と語るとすれば、これはもう「情報番組」ではなく、「漫談」の世界に近い。
科学者にして随筆家としても著名な中谷宇吉郎は、こんな話し方を「語呂合わせ」と言っている。
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中谷宇吉郎のエッセーに『語呂の論理』というのがある。サワリの部分を引用しておこう。
ところが、仙台で小宮 さんの御宅 を訪ねた時に、丁度水曜の面会日に当ったことがある。その席上で何気 なくこの語呂の論理の話をしたら、同席の長谷川 君が大変面白がって、「そういえば、『北越雪譜』の中の雪中の虫のところに「金中 猶 虫あり、雪中 虫無 んや」というのがありますね」という話をしてくれた。私はうっかり読み通っていたので、帰ってから早速探して見ると、なるほどちゃんとあった。そして、語呂の論理の例としては、この方が簡潔で良いので、その後はしばしばこの方を借用することにした。
「雪中の虫」の説はなかなかの傑作である。凡 そ銅鉄の腐るはじめは虫が生ずるためで、「錆 は腐 の始 、錆 の中かならず虫あり、肉眼に及ばざるゆゑ」人が知らないのであるが、これは蘭人 の説であるという説明があって、その次に「金中猶虫あり、雪中虫無んや」というのが出て来るのである。
「雪中虫無んや」の話は、その時は大笑いになって済んでしまった。そして西洋の自然科学風な考え方の洗礼をまだ受けていない頃のわれわれの祖先の頭の中をちらと覗 いたような気がして大変愉快であった。
(出所 )https://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/53225_49860.html
『金属の中にさえ微生物がいる、いわんや雪の中にいないはずがない』というわけだ。
金属の腐食のメカニズムの話しをしているときにダネ、『先生、カネの中に微生物はいるんです、雪の中にだっていてもいいでしょう』ってサ、こんな事をいうヤツがいるんだヨ、という話は確かに文明開化途上の大学でされていたとしても可笑しくはない。どうも思考回路が読めないネエ、というのが筆者の主旨である。これは単なる連想ゲームであって、認識のロジックがない、語呂合わせだ。漫談、落語と理解するほうがいい。そんな小話である。
しかし、言葉としては切れが良くて、頭に残る。そんな話は確かにある。特にTVという媒体はそんな話芸が評価される。しかし、だからといって、科学的な話をしているときに、ロジックのない語呂合わせをして語るのは、ヤッパリ良くないネエ。こりゃ、漫談だ。
情報番組という看板を掲げておいて、漫談をするなヨ
何だか、そう思うのだな。
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