2021年3月3日水曜日

補足: 「確率」という概念の理解不足について

 前回投稿では「確率概念の理解不足」に触れて、以下のようなことを書いている。

GOTOトラベルと感染拡大とは、関係があるのか、ないのか?

素人集団であるメディア従業者はこんな感覚で伝えていたのだろうと思う。

GOTOトラベル論争が不毛なまま続けられたのは、日本のメディア社会における「数理リテラシーの不足」、「確率というコンセプトの無理解」がもたらした現象だと思われる。

これと関連してこんなこともあったという補足をしておきたい。

ネットだったか、TVの「情報番組」であったか忘れたのだが、こんな意見を述べる人がいた。

ワクチンの副反応って、確率は100万分の1とか、無視できる程だから心配する必要はないって言うじゃないですか。でも、ワクチンを受ける当事者の立場に立てば、自分に副反応が出るかもしれない。自分に出るかどうかは分からない。なので、副反応が出るのは確率半々なんです。これは、ヤッパリ、怖いわけですよね・・・

 可笑しさのあまりふき出してしまうとすれば、これは教育上甚だしく不適切だろう。ヤッパリ、真剣な心配なのだと思う。

実際、上のような感想のどこが非合理的であるか、どこが確率概念の無理解さを表しているか、ゼミ生に質問をするとすれば、理路整然と回答できる学生は案外少ないかもしれない。

でもナア・・・この論法でいけば、こうなる。

サイコロを振って6の目が出る確率は6分の1であることは誰もが知っている。ということは、6の目が出ない確率は6分の5ということになる。パーセントでいえば約83パーセント。かなり高い確率だ。故に、次に6の目は出ない方にカネを賭けても、80パーセント超の確率で勝つ。

しかし、いざ100万円を賭ける本人の立場に立てば、6が出るか出ないかは分からない。次に6が出れば、自分はカネを失う。分からないということは確率半々。ヤッパリ、怖いわけですよ。

『おいおい、次に6が出るか出ないか分からないって、だから6が出るのは確率2分の1,6が出ないのも確率2分の1。こういうことかい?だから怖いってか?』。こんなコメントなら多くの人は出せるはずだ。サイコロを振って、6の目が出る確率はカネを賭ける当事者にとっても、誰にとっても、6分の1であるのは正しいサイコロの特性として定まっているわけだ。

その確率を大きいと思うか、小さいと感じるかという問題と、特定の事象が発生する確率がいくらに定まっているかということとは、まったく別の問題だ。更に、それぞれの可能性からどれほどの利益・損失(=負の利益)が発生すると見込まれるかという問題、そして全ての可能性をウェイトとして利益を総計した「期待利益」、利益の分散(=リスク)がいくらになるかという問題。これらも別の問題になり、各指標は各指標なりの用途がある。

あるサイトによれば、飛行機事故で死亡する確率は1万分の9であるそうだ。

もし100万分の1しか生じない副反応を怖れながら、旅行では飛行機に乗るのであれば、これはヤッパリ非合理的である・・・というのが、「合理的な議論」とされている。

ま、人間というのは「非合理的な存在」である。この点はとっくに分かっていることである。とすれば、社会全体が非合理的な行動をとるとしても、一人一人が非合理的なのであれば、これまた自然な結果である。小生はそんな風に考えている。 

マア、どこかのTV局のキャスターが

滅多に事故が起きない見通しのよい道路で死亡事故が起きてしまいました。これはタマタマなのか、故意なのか?

こんな風に報道すれば、「確率」というメカニズムを理解していなければ、この反語的疑問文から「事故は故意じゃないか」と、世間は受け取るだろう。非合理的な社会現象が頻繁に発生するのは、理解するべき科学的概念を理解していない社会であることからもたらされている・・・というのは確かに一つの見方だ。

0 件のコメント: