ネットを視ていると、色々な日本語に出くわす。
良識ある「識者」は「言葉の乱れ」を嘆くようなのだが、日本語の文章はそもそも明治時代に一新されてしまったし、言文一致の度合いも加速しているのが現状だ。
学生のレポートなら、思わずプッと噴き出すところかナアと思ったのは、出所は敢えて示さなくともよいと思うのだが、Yahooにあった次のヘッドラインだ。
大河『家康』2代将軍・秀忠の母、お愛の方の実像 美貌が家康の目にとまった!? 20代後半で死亡
Yahoo!Japanは、昔でいえば「スポーツ紙」か「芸能誌」の役割を果たしているメディアだが、ヘッドラインもその昔の電車・吊り広告と大体同じであるのが、面白い。世代は変われど日本人は日本語を使っているのがアリアリと分かる。
ただ、「死亡」ってのはないでしょう、と。そう感じました。「感じた」ということであって、「ダメ出し」というわけではない。言葉は移り変わるものである。小生の世代なら、必ず「死去」か「他界」と書くはずだ。交通事故の被害者じゃあるまいし「死亡」とは言わんでしょう、と。
いっそのこと、完全なる言文一致体で書けば良かったかもしれない。『20くらいで死んだ』とか……。
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ずっと以前、某私立大学で現代経済理論を非常勤で担当していたことがある。公務員試験準備で人気のあった分厚い本を教科書にしたのだが、定期試験は記述式で回答する問題にしていた。ある年、
消費者の最適化行動について述べよ
という問題を出したことがある。数百名の答案を読んでいると、中には
消費者は、いろんな財貨サービスの値段をみながらお金の使い方を決めてるけど、消費支出の最適化はその商品の限界効用と価格が比例していることがいちばん大事な点です……
今でも覚えている。実に「達意の文章」になっていた。いや、いや、面白かったナア……。上の答案はロジックが正しいので「優」の評価をしたはずだ。
この感覚で、最初に引用したヘッドラインを書き直すとすれば、どうなるだろう?ネットで「現代日本語」を参照したのだが、例えば
2代将軍・秀忠のお母様「お愛の方」のキャラクター? あの家康が一目ぼれしたぐうかわでし、まだ20代でおなくなり 。°(°`ω´ °)°。
若い人なら正に現役、もっといい文案が浮かぶはずだ。
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マイケル・クライトンの『ジュラシックパーク』を読んでからシェークスピアを読むと、同じ英語でも「これが同じ英語か」という程の違いを感じる。
日本語も同じだ。いま『源氏物語』を原文で読んで分かる日本人はほとんどいない(はずだ)。谷崎潤一郎の現代語訳ですら難しい。現代文に近い森鴎外の名作『渋江抽斎』も脚注抜きで読める人は少ないだろう。
何年かたった暁には、いまネットを埋め尽くしている言文一致体の日本語の文章も『分かることは分かるけど、こんな言い方しないよね』と、古めかしさが話題になるに違いない。
言葉の表現で新しさを求めたりする趣味は、その価値判断も含めて、その時限りの一過性、文字通り「一期一会」の意味合いしかないものだ。未来とは切り離された今限りの事だ。
反対に、何語で書いてもピタゴラスの定理はピタゴラスの定理だ。文語で読んでも、口語で読んでも、『新約聖書』は同じことを書いている。
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