2023年6月7日水曜日

断想: 国立西洋美術館はやはり常設展が素晴らしい、という感想

週初めに東京に行って野暮用を済ませてきた。昨日は時間があったのでコロナ禍でご無沙汰していた西洋美術館に行ってみた。そうすると、『ブルターニュ展』が企画されていたので入ってみた。

ブルターニュというとポン・タヴァン村に隠棲して若手芸術家たちと芸術村のような活動をしたポール・ゴーギャンを思い出す。「ブルターニュ展」と来れば、やはりゴーギャンや同じ時代に活動をしたモネ、シニャックなど印象派画家の作品が中心だった。

ま、かなりのレベルではあったが、実は西洋美術館に何度も行くのは「常設展」のほうが好きだからである。企画展というのはリピートがきかない。

下にあるモネ『セーヌ河の朝』は、ずっと昔、まだ高校生の頃だったか結構高額であったはずだから母に助けてもらったのかハッキリとは覚えていないのだが、渋谷で買ってきたモネの画集の中でも特にお気に入りで、自分でも模写したのがまだ拙宅に残っている。


常設展だから、これまでにも何度も上の現物を観ていたはずだが、昨日は一仕事してきたし、それも亡くなった母に関係した事だったので、いつもより強く懐かしみを感じた。そういえば、何年か前にもこのモネのことで投稿したことがあるのを思い出してブログ内検索をかけてみたが、どうも覚えていたのは別の作品で、上にある作品を描き写したことはまだここでは記していなかったようだ。スマホで撮影したが、どうも発色が悪いのでフィルターをかけてオリジナルに近いイメージにしたのだが、その分だけ色合いが違っているかもしれない。

ところが、高校生の頃は非常に心を動かされた作品だが、その頃の感興の高ぶりがどうにも再現できない自分がいる。むしろデュフィが描いた"Mozart"の


力感がありながら、静寂を底に秘めている色合いに魅力を感じたし、ピカソの『小さな丸帽子を被って座る女性』(という画題だったと思うが)


此方の方が今の感性にはマッチしているのだから、美的感覚というのは不思議なものである。成長したのか、鈍麻したのかは明らかではないが、若い時分と今とでは好むものが違う。単なる変化かもしれないし、進化かもしれない。

分かるものが増えるのは有難いが、母と一緒に「いいよネエ」と語り合ったものが案外それ程ではないと感じるようになった自分にはどこか淋しみを感じるものである。



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