コロナ自粛に賞味期限が来たと思ったら、いいタイミングで始まったロシア=ウクライナ戦争。そして現時点で<時の話題>になっているのは《市川猿之助一家心中事件》である。
何だか、人の死を話題にして《営業》している。セールストークをしている。
こんな理屈になるし、実際みているとそんな感覚を覚えるのだ、な。
好奇心から繰り広げられる《井戸端会議》は、心中という悲劇といっても所詮は他人事なのであるから、まあ興味本位でおしゃべりするとしても、そもそもレベルの低い人間の性、仕方がないではないかとも感じられる。しかしながら、要するに「井戸端会議」でしかないものをビジネスにして営業展開するというのはネエ……、ずっと昔、仮にも人の死が関連する話しであっても、そもそも下世話な話題が好きな人たちは、格好の週刊誌があったからカネを払って読み物を読んだものだ。話し半分、ウソ半分。気楽な読み物で憂さを晴らしたものでした。
ところが、今はチャンネルを合わせると、お上に認可された電波にのって、自然に放送が流れてくる。午前、午後、どの民間放送局のどのワイドショーも同じ話をやっている。
そして、元・芸人のMCが
ここでいったんコマーシャル
などと笑顔で司会をやっている。
そもそもお上に認可された公共の電波をこんな番組放送のために使うしか使い道を思いつかないのか、今のテレビ局は?そもそも、そんな疑問があります。
まあ、小生も<出歯ガメ的煩悩>にまみれている愚人である。だから、食事が不味くなるほどの不愉快を感じることはない。マイナスの評価点をつけようとは思わない。ない方がマシとは言わない。しかし、あった方がいいとも感じない。評価ゼロである。
その意味で
最近のテレビ、レベルが落ちたナア。落下速度、加速してるナア……
と。
ここで昔し話をしても埒もないが、お笑い番組、歌番組、スポーツ番組とドラマ番組。これに報道ニュースを加えて、テレビは戦後日本でなくてはならないメディアであった。テレビを視る人は心が癒された。下を向いた顔がまた前を向いた。それが他のメディアに対する競争優位を失って、その分ヒトが余っているのだろう。犯人捜しや暴露趣味などネガティブな感情を刺激するイエローな番組編集は余ったヒトの居場所である。仕事場である。みていると衰退産業に共通の「マンネリと劣化の感覚」が伝わって来て仕方がないのだ、な。
社会的価値の産出としては(あくまでも主観だが)作っても純利益ゼロ、なくしても純損失ゼロである。その裏面では、ヒトとカネをとられた投入先があって、社会はその分だけ利益機会を失っている。損をしているのである。マア、日本は今もなお超低金利。純利益ゼロ、純損失ゼロの似たようなビジネスは山のようにあるに違いない ― 客観的な社会的価値としてはであって、主観的価値ではない(念のため)。低生産性ビジネスに貴重な労働資源が吸い取られているわけだ。賃金が上がらないのは当然の帰結だ。日本もそろそろ発想を変えた方がイイ……
評価ゼロの番組作りはもう止めて、かつての名作再放送を増やすなどして、規模の縮小に舵を切るべき時だろう。社会全体としては人出不足が大問題なのだから、テレビ業界の低水準の番組作りに余ったヒトとカネを投入するのは非合理的である。長期デフレ下の《失業対策》としてみれば意味はある、が、経済の現状は変わった。こうしたビジネスの継続は望ましくない。まして電波許認可制の下で独占利潤が認められているが故の状態だ。公益への寄与が認められる内容ではないと思う。問題性がある。そう感じるのだ、な。
【加筆】2023-07-28
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