2024年10月28日月曜日

ホンノ一言: 与党大敗はそもそも「当たり前」の帰結であったはず

 「案の定」ということなのだろう。

自民党が石破茂・新総裁を選んでも、今回の衆院選の大敗を免れることはやはり出来なかった。

大体、自民党が勝つはずがなかった、公明党も一蓮托生……、にも拘らず、メディアは与党が過半数を割った後のことを本気では話題にしていなかった — マッ、それも「立場」ということなのでしょう、分かりますケド。


メディアでは、石破新総裁がいわゆる「裏金議員」を早々に公認したこととか、世間の批判をみて手のひらを返したように非公認にしたり、裏金議員の比例重複立候補を許さないなど急に強硬になったとか、非公認議員がいる選挙区に活動費を支給したりとか、まあ、色々な具体的敗因を挙げているが、それは奇妙な解説だ。

本質的な敗因が、政治資金パーティー収入のキャッシュバックを不記載にしていたというルーズな金銭感覚にあったことを思い出すと、新総裁がどう取り繕っていたとしても、裏金作りに手を染めていた議員の《大量落選》を防ぐことは、ホボゝ不可能であったに違いない。

これが第一の要点だと思われるがいかに?

――旧・統一教会との関係も主因であったと指摘する向きがあるが ― これは安倍派によらず自民党全体に関係性が窺われた ―、これも与党大敗の主因なのだろうか?思うのだが、安倍元首相暗殺事件後の旧・統一教会騒動は、銃撃犯が恨んでいたと伝えられる宗教法人の強欲さに犯人を不憫に感じた日本人のヒステリー現象だった(と小生は観ていた)。今も変わらない。議員とその宗教法人が親しい中にあるからといって「許せヌ」とまで思うだろうか?そんな疑問がヤッパリあるのだ、な。

「あの宗教団体と…」というより、「腹が立つのは汚いカネの作り方だ」と。そう思いますがネエ、あたしは、というところだ。

「・・・となるに違いない」事が現実に実現したわけだ。故に、大敗の責任はこれまでの主流派であり、金銭感覚が余りにルーズであった安倍派の議員面々にある。長い期間、アンチ安倍で冷や飯を食ってきた石破首相には責任は(ほとんど?)ない。

よくある《盛者必衰》の交代劇が今回再び演じられたというわけだ。

政治的スキャンダルを起こしたにもかかわらず、石破茂氏を新総裁に選べば、国民に人気があるので、自民党議員も人気のおこぼれをもらって落選せずにすむかも・・・と。

何だか

善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや

親鸞の「悪人正機説」じゃあるまいし、旧・安倍派の金銭欲にまみれた自民党議員たちを、だからこそ救うのだという大悲は国政選挙では期待できませんて……、有権者は阿弥陀如来とは違います。そんな阿弥陀様の役割を石破首相に期待していたとすれば、そもそもが実に非常識な期待であった。

そういうことであったと思う。

足元の問題は、

石破茂は、悪行(?)を重ねた議員を救う阿弥陀様ではなかった。だから負けた今は「用済みだ」となるのか?……何だか不合格になった受験生に捨てられる御守のようだが。でもお守りを捨てても低脳は低脳のままですゼ……実質を変えんとネ。

石破茂はアンチ安倍だ。今回は安倍派の汚れた議員に鉄槌が下った。これから「石破政治」をやってもらおう、となるのか?……マア、ルサンチマンである。源平合戦さながらの復讐劇が進む。侮られてきた「窓際族」がどういう拍子か権力を握ると得てしてこうなりがちだ……国民の共感が要りますワナ。

この岐路のどちらの道を歩むのか、ということだろう。

これからどうなるのだろう?

イギリスのBBC辺りは、政治的安定を失った挙句に極右の高市早苗政権が(旧・安倍派を中心に?)誕生するかもしれないと、「一抹の不安?」を伝えているようだ。

もしそうなれば、日本政治の極端なドタバタ喜劇ぶりに世界中がアッと驚くのは必至だ。しかし、そうなったらそうなったで、

こりゃあ「瓢箪から駒」って奴だネエ

と、庶民は喝采するのが日本社会かもしれない。戦後日本の民主主義って奴でしょう。

小生は、何度も書いてきたように、自民党の分裂、立憲民主党の分裂、共産党が共産主義の旗を降ろすことの三つを願望する立場にいる。

そして国政選挙は、小選挙区が主、比例代表は従という現行方式は止めて、全体の得票率が議席数に反映される比例代表が主、小選挙区は従とするドイツ的な「比例代表併用制」に移行していくのが好みである。もちろん泡沫政党には議席を与えず得票率には下限を設ける。

どこも過半数をとれないだろうから、選挙後に政党間の協議と相互の妥協によって連立政権を構築すればよい。

首相による議会解散は一定の年限は極力自主規制する。

内閣成立まで時間を要するかもしれないが、必ずしも不安定ならず、だ。強力なカリスマ宰相が誕生する可能性はメルケル長期政権を思うと十分にある。

それには、1955年以来のいわゆる「55年体制」が跡形もなく瓦解することが必要だ。

当面は「力勝負」ということで、徹底的に政敵を迫害(?)する「権力闘争」を展開してほしいものだ。それでこそ、日本政治がダイナミズムを取り戻し、そうすれば日本経済も、「政治」などには期待せず、アニマル・スピリットを取り戻してダイナミックになるはずである。

そして、中央政府をスリム化して、地方分権を進め、税源を地方の生産現場に分散化し、地方、地方が比較優位性を生かして「生産性の向上」に頑張る。頑張った地域こそ豊かな地域になる。大したことはしていない首都の本社・本部より身体を動かしている現場。そんな国になって行ってほしいものだ。

 

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